2026-09-25 20:00それを作れば彼は来る(SM奇譚 創戯旅団 第382夜)





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SM奇譚 創戯旅団 第382夜 それを作れば彼は来る
※2026年09月25日20時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月25日20時11分【NOTE無料投稿】
私の人生のクライマックスも道の遥か彼方まで連なる仲間達の車が見えるラストシーンであって欲しいものだ。野球漫画家の水島新司は自分の大好きだった南海ホークスに自分の描いたのんべえスラッガー影浦安武(あぶさん)を入団させて活躍させた。その漫画では閑古鳥が鳴く二軍の中百舌鳥球場が描かれていたものだが、長期連載となったあぶさんは後半はソフトバンクホークスで活躍した。最後には息子もプロ野球選手になるまで現役を続けた。あの物悲しさ漂う南海ホークスに在籍していた強打者が、いつの間にか最強チームのホームランバッターになっている後期を、作者の水島新司でさえ予測していなかっただろう。水島新司は奥さんも人気漫画家だ。しかし息子はたけし軍団に居た。息子も漫画家であって欲しかった。そして山田太郎が大リーグでホームラン王を取る姿を描いて欲しかった。里中も岩鬼も殿馬も微笑も大リーガーになって欲しかった。そしてWBCで岩田鉄五郎監督とともに世界一に輝いて欲しかった。そんな漫画を読んでみたかった。今回は私の大好きな映画や漫画をSMクラブと融合したり勝手な続編を空想するところから始まったが、人の作り出す世界は何であれ他人の想いが共鳴し少しずつ形を変えていく。人間の想いの交錯が化学反応を引き起こすのだから、SMクラブもサドもマゾッホも私の世界観では、既に私と融合してしまい取り除く事の出来ない事象となった。故に私が思い描く野球場の草むらからは大谷翔平も山田太郎も登場しない。私が見つめている外野の草むらから出てくるのはサドとマゾッホだろうと勝手な想像をしているが、或いはSMに目覚めてしまったアダムとイブが私を天に召すラストシーンなのかも知れない。出来る事ならば、まだ35年はこんなどうでも良い与太話を書き殴りながら生きていたいものである。それにしても、理想のSMクラブを作り上げる私の野望は、想像以上に四苦八苦している。相変わらず、私は絶叫しながらドタバタ劇を繰り広げている始末だ。彷徨い歩きながら地雷を踏んではちゅど~んと吹っ飛んでいるのだから、悲劇も一周回って喜劇化している。私の人生っぽいなとつくづく思う。格好良さなど微塵もない泥に塗れた人生なのだが、それなりに自由奔放に生きているから楽しんではいる。頭の悪い人生だと自覚しているが、頭が悪いからと言って、誰かを楽しませられないとは限らないではないか。運良くか運悪くかは私には分からないが、私の人生はSMクラブと交錯する事によって大きく変わった。これも人の運命なのだろう。運命に逆らってしまうと凋落の未来しか見えないので、私は運命には逆らわないようにしている。SMクラブと人生を並走させる事だけが、私に生きる意味を与えている気さえ今では感じている。そうなってしまうと私の行き先はサドとマゾッホの生きた世界観と交錯している事になる。その上に頭の悪そうなエロい発想を積み上げるのが私に与えられた役目だ。今では七転び八起きしながらエロい発想ばかりしている。まあそれでもお客様に喜んで貰いたいという気持ちを持っていれば、いつかなんとかなると信じている。お金持ちになりたいなんて不純な動機を持ってしまうと、私には転落の未来しかなくなるだろう。もっとも転落した現在地から見る下の景色など無い。見上げる空しか残っていないのもまた事実だ。こうやって気がつくと馬鹿な事しか言ってないのだが、そろそろ真面目なSMクラブ話に戻るとしよう。私は落ちこぼれたSMクラブを運営しているのだが、軌道に乗っているSMクラブを『待って~』と追いかける事はしない。ロッククライマーの様に断崖絶壁を登ろうする奇人変人だ。私のnoteは登山日記。何の前準備もせずにエベレストに挑んでいるは言いすぎ。何の前準備もせずに筑波山を登る登山日記だ。簡単に登れそうだ(笑)もちろん目指すは女体山。用意するのはガマの油では無く、ローションとオナホールだ。その登山ルートも天上TENGA唯我独尊だ。こんな事ばっかり言ってるからどあほぅな発想しか思い浮かんでこないのだ。『頭使わずにおたまじゃくし使って何が悪い』それしか出来ないんだからしょうがない!エロい発想が枯れている時はこうやってクダを巻いてるだけなのだが、エロは悪徳か美学かを暇なので考えてみた。表立って公に語るものでは無いと考えている人間ばかりだからいつの時代もエロは悪徳扱いだ。アダムとイブが致さなければ人類さえ誕生していないのに、何言っちゃってるんだかとも思うのだが、何故こうも人はかまととぶるのだろう。太古の昔の人間までもが服を着ている。他の動物は服を着ないので、やはり人間だけは他の星から来た生物ではないだろうか?服だけではない。SM遊戯では道具まで使い始めた。そうやって興奮している。SMは致さないで楽しむからSMだ!なんて言ってる人が居たが、なにかとなにかが混同している頭の悪そうな論点ずらしだ。『風営法があるからSMクラブでは致せない!』が模範解答だ。しかし法律は守ろう。青信号を守って、横断歩道の上を歩こうと言っている。横断歩道のない場所を車が通る直前に渡るとスリルがあって興奮するよ!とは言っていない。そんな事を考えている人間ははねられてしまえと単純に思う。リスクを取った自分が悪いのだ。ではエロは美徳か?これまた微妙なところだ。エロは媚薬か?なら正解とでも言えるのだが、エロが美として許されるのは絵画や彫刻だけだ。モデルになってくれと女性を裸にして欲情して致してしまった男のどこに美徳がある?どちらかというとゲスの極みだ。ベッキーと致したのもゲスの極みだ。行為はゲスの極みだったけがネーミングセンスは芸術だった。そのアンバランスさがセンテンススプリングだった。いやナンセンスだった。エロの最狂進化系がSMだ。そうなると悪徳や美徳の分岐で語られることも無い。悪徳一択になる。それが世の中のSMクラブに向ける冷ややかな目線だ。これは事実以外の何者でも無い。同じ風俗業界の人間までマウントを取ってこようとする。それはその人間がくだらないだけなのかも知れない。別に政治家だって芸能人だってSMクラブを利用している。それのどこが悪いと利用した本人でさえ思っている事だろう。『SMクラブを見下してマウントを取ろうとする行為はクズでカスでゲスな行為だと認識しろボケ!』何も恥じる事はない。むしろ踏み込みたい願望があるのに踏み込む勇気を持てなかった人間を笑えばいい。私は笑わずに優しく手を差し伸べる。人間が出来ていると装いたい偽善者だからだ。要するに、ただの格好つけってやつ。それでも親切である事に嘘はない。こうやって、SMクラブ普及活動に精を出しているのだから、私はSMクラブにいる事を何も恥じていない。恥じるどころか、今ではこうやって私の境遇をSMクラブ運営者として隠さずに全公開している。そこまで振り切ってしまうと、もう戻る道は用意されていない。何を延々と語っているの?となるのだが、最初から最後まで、『それを作れば彼は来る』の話しかしていない。解釈は人それぞれだろう。私はあの映画を見て『腹を括れば違う景色が見える』と解釈して、自然と涙が出たのだ。誰の人生にも劇的なドラマがあり、それが故に人生は翻弄され紆余曲折を辿る事になる。私と皆さんがSMクラブを通じて交錯した事にも少しだろうが意味は必ずある。何を感じて何を解釈するかは自由だが、SMやSMクラブを見下す事だけはどうか止めて欲しい。それは器量の狭い人間のやる事だ。向こうから近づいてきて、そんな行動に出ようとする器の小さい人間だらけだったので言っているのだ。そういう時には私は『こいつは頭が悪いんだな!』と思う様にしていた。悩むのは無意味だ。絡んでくる行為は器の小さな人間のやり口でしかない。こちらも小馬鹿にしながら無視をすれば良いだけだ。時間の無駄になるので全スルーで良い。共鳴する人間同士でシェイクハンドすれば良いのだと考えている。この想いは揺るがない。他の人間の考えを否定する為に近づいてくる行為は、クズとカスとゲスがやる行為だと定義する事がSMクラブでは大切だと思う。BDSMとはそういう物だ。自分が持っている世界観を理解しようとしてくれる、優しいかけがえのないパートナーを貴方が探し当てられる事を、私も本気で願っている。自分勝手な人間は私達のコミュニティーに必要としない。自分よがりなナルシストな人間に支配権を委ねると幸せな結末を迎える事は絶対にないだろう。性格が悪い人間は断じて拒否で構わないと思われる。私はマジヒストなので、特にそう感じている。しかし、不満をぶつくさと言い始める人間には噛みつき返す。マゾヒストなのに攻撃されるとサディストに豹変する少し変わった人間だ。私もまたSとMを併せ持つ人間である証拠だろう。サディストとマゾヒストは対極には位置しない。共存もするし、単体で機能するものであり、それは性癖に関しても同じ事だ。達観したモノの見方を養いながら優しくパートナーを包み込む気持ちを持てれば、SMは上手く噛み合う気がしてならない。そんな経験を何度もすると、SMは支配と服従では無かったのだと理解出来る。それを射幸心に全振りして過激な暗黒啓蒙に走る人間が出てくるのも否定しない。否定しないが肯定出来るかは別の問題だ。相手を理解した上で、袂を分かったり距離を置く事も大切だ。無尽蔵に相手に服従してしまうのは思考停止以外のなにものでも無い。不幸を招き入れてしまうので、判断力を養う事が重要だろう。今回は私の価値観を、なんとなく書き殴ってみた。
『それを作れば彼は来る』というセリフは、人の価値観の多様性を比喩している。