2026-09-21 19:53マルキ・ド・サドを読む:第一部『ソドムの百二十日』EP.05





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司書は今夜、石の部屋のさらに奥、これまで気づかなかった一角へと、私を導いた。壁には、四つの古びた紋章が、等間隔に並んで掲げられている。剣を象った紋章、十字架を象った紋章、天秤を象った紋章、そして貨幣を象った紋章だった。
「前夜、私たちはシリング城という、閉ざされた舞台そのものについて語りました」と司書は静かに言った。「今夜は、その舞台の中心に据えられた、四人の人物たちに目を向けていきましょう」司書は紋章を、一つずつ指し示した。「公爵、司教、大統領、そして銀行家。なぜサドは、これほどまでに周到に、社会の主要な権威を体現する人物たちを、この物語の中心に配置したのでしょうか」
SM奇譚 創戯旅団 外伝第77夜
世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~ 「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.5 「四人の権力者」
※2026年09月21日19時55分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月21日19時22分【note有料投稿】
■第一章:四つの権威の類型
司書は、剣を象った紋章の前に立った。「まず、公爵という存在から見ていきましょう」と司書は言う。「これは、血統に基づく貴族的権威を体現する人物です。生まれながらにして与えられる特権、家系という、本人の努力とは無関係に継承される権力の型を、彼は代表しています」
私は、この血統という権威の性質について、さらに尋ねた。
「血統による権威の特徴は、その正当性の根拠が、個人の能力や実績ではなく、過去から続く連続性そのものに置かれている点にあります。この種の権威は、極めて古く、そして極めて根深いものです。フランスの旧体制そのものが、まさにこの血統という原理の上に築かれていました」
私は、この公爵という人物像が、作者であるサド自身の出自と、どこか重なる部分を持っているのかを、さらに尋ねてみた。
「鋭い指摘です」と司書は答えた。「サド自身もまた、由緒ある貴族の家系に生まれた人物でした。この意味において、公爵という登場人物は、単なる架空の他者としてではなく、作者自身が生まれ落ちた世界そのものへの、内側からの批評的な視線を、色濃く反映していると考えることができます。自らが属する階級の権威の構造を、これほど徹底的に解剖してみせたという事実には、単なる第三者的な観察を超えた、自己に対する痛烈な視線も含まれていたのかもしれません」司書は、次に十字架の紋章の前へと移った。「司教は、宗教的権威を体現しています。神という、この世を超えた絶対的な存在を後ろ盾とする権威です。この種の権威の特徴は、その正当性が、人間社会の外部、すなわち超越的な領域に根拠を置いているという点にあります」
私は、この宗教的権威が、他の権威とどのように異なる性質を持つのかを尋ねた。
「宗教的権威は、しばしば、他のいかなる世俗の権力よりも高い位置に自らを置こうとします。国王でさえ、神の代理人としてその地位を正当化してきた歴史があります。この超越性ゆえに、宗教的権威は、時に、世俗の権威の暴走に対する、一つの歯止めとして機能することもありました」
私は、この司教という人物が、物語の中に配置されていることの、特別な意味について尋ねてみた。
「本来であれば道徳の守護者であるはずの聖職者が、他の世俗的な権力者たちと肩を並べて、この閉ざされた城の中に加わっているという設定そのものが、極めて痛烈な皮肉として機能しています。道徳的な監督者であるべき存在が、監督されるべき側の一員として振る舞ってしまうとき、社会を支えるべき道徳的な歯止めは、内側から静かに崩れ落ちていくことになるのです」司書は続いて、天秤の紋章の前へと歩みを進めた。「大統領という肩書きは、この作品が書かれた文脈においては、現代的な国家元首というよりも、むしろ、高等法院における法曹の要職を意味していたと考えられます。つまり、司法権力を体現する存在です」
私は、司法権力という類型の特徴について尋ねた。
「司法権力の正当性は、法という、明文化された規則の体系に根拠を置いています。血統や信仰とは異なり、原理的には、誰もが従うべき、普遍的な規則であることが、その権威の建前となっています。しかし、その運用の実態においては、しばしば、権力を持つ者に都合よく解釈され、悪用される危険性も、常に内包していました」
私は、この「法の番人でありながら、法を私物化する」という構図が持つ、より深い意味について尋ねた。
「法とは、本来、権力者の恣意から、弱い立場の人々を守るための盾として機能するべきものです。しかし、法を運用する権限そのものが、権力者の手に握られてしまえば、その盾は、いとも簡単に、剣へと姿を変えてしまいます。この転倒こそが、司法権力という類型が抱える、最も根深い危うさなのです」最後に、司書は貨幣の紋章の前に立った。「銀行家は、経済的権威を体現しています。血統でも、信仰でも、法でもなく、貨幣という、極めて世俗的で流動的な力に基づく権威です」
私は、この経済的権威の特異性について尋ねた。
「経済的権威の興味深い点は、それが伝統的な身分制度の外側から、新たに台頭してきた権力の型だという点です。十八世紀のフランスにおいて、商業や金融によって富を蓄積した新興の階層は、伝統的な貴族の身分秩序とは、また別の論理で、社会に強い影響力を及ぼし始めていました。銀行家という人物像は、まさにこの新しい権力の台頭を象徴しているのです」
私は、この経済的権威が、他の三つの伝統的な権威と結びつくことの、歴史的な意味についても尋ねてみた。
「これは、極めて先見的な洞察だったと言えるでしょう。血統、信仰、法という、旧来の権威の型に、新興の経済力が加わり、それらが互いに結託していくという構図は、まさに旧体制が崩壊へと向かう直前の、フランス社会の縮図でもありました。伝統的な権威と、新しい経済力とが手を結ぶとき、その結託は、単独のいずれの権威よりも、はるかに強固で、それゆえに、より危険なものになり得るのです」
■第二章:なぜ単独の権力者ではなく、四人だったのか
司書は、四つの紋章を、順に見渡した。「ここで、今夜の核心的な問いに向き合いましょう」と司書は言った。「なぜサドは、単独の暴君ではなく、あえて四種類の異なる権威を体現する人物たちを、並べて配置したのでしょうか」
私は、この問いへの、司書自身の見解を尋ねた。
「一人の暴君による専制であれば、その物語は、特定の個人の異常性、あるいは病理として、比較的容易に片付けられてしまいます。しかし、血統、信仰、法、そして貨幣という、社会を構成する主要な権威の型が、すべて共謀して一つの目的のために結託するとき、そこに現れるのは、もはや個人の異常性ではなく、社会という構造そのものが内包する、根源的な危うさなのです」司書は静かに続けた。「言い換えれば、サドは、特定の悪人を描こうとしたのではありません。むしろ、社会を成り立たせているはずの、あらゆる権威の型が、互いを牽制する力を失い、一つの目的のために手を結んでしまったとき、いったい何が起こり得るのかという、社会そのものへの、恐るべき思考実験を試みたのです」
私は、この四人という数そのものにも、何か象徴的な意図が込められているのではないかと尋ねてみた。
「興味深い視点ですね。四という数は、古来より、世界を構成する要素の全体性を示す数として、しばしば用いられてきました。四つの方位、四つの季節、四つの元素。サドがあえて四人という数を選んだ背景には、これが単なる偶然の人数ではなく、社会という全体を構成する、主要な権威の類型を、網羅的に示そうとする意図があったのではないかと、私は考えています。四人という数字そのものが、これが特定の個人の逸脱ではなく、社会構造全体を象徴する寓話であることを、暗に示しているのです」
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ここから先では、サドが描いた「四人の権力者」を、単なる登場人物の配置としてではなく、社会における権力構造そのものとして読み解いていきます。なぜ、血統・信仰・法・貨幣という異なる権威が、一つの閉ざされた空間に集められたのか。そして、この構造は、十八世紀フランスの思想状況とどのようにつながっているのか。
後半では、
モンテスキューの「権力分立」という理念
シリング城における権力集中の構造
異なる権威が互いを監視しなくなったとき何が起こるのか
「権力の結託」と弱い立場の人々との関係
サドの作品を単なる過激文学ではなく「社会構造の思考実験」として読む視点
そして次回以降につながる「分類すること」と「支配すること」の関係
について、さらに踏み込んで考察していきます。
四人の権力者は、単なる「四人の悪人」なのか。それとも、社会を構成する異なる権威そのものを、一つの部屋に閉じ込めた装置なのか。ここから先は、その問いを手掛かりに、『ソドムの百二十日』の奥に仕掛けられた「権力の構造」を読み解いていきます。
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https://note.com/ideal_rabbit5011/n/n358960ca77c7
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