2026-09-17 23:29マルキ・ド・サドを読む:第一部『ソドムの百二十日』EP.02





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司書は今夜、石の部屋を抜けた先にある、細長い回廊へと私を導いた。壁には、額装された古い肖像画が、等間隔に並んでいる。どれも、色褪せ、ひび割れた絵の具の下に、かろうじて人物の輪郭だけを留めている。
「今夜は、作品そのものではなく、一人の人間に会いに行きましょう」と司書は静かに言った。「ドナティアン=アルフォンス=フランソワ・ド・サド。この名前の背後にいた、生身の人間についてです」
司書は回廊の奥、一枚の肖像画の前で足を止めた。輪郭のほとんどが失われた、若い貴族らしき人物の絵だった。
「前夜、私たちは『なぜ百二十日が書かれたのか』という、作品誕生の物語を追いました。今夜はその一歩手前、この作品を書いた人間そのものへと、視線を移していきます」
SM奇譚 創戯旅団 外伝第74夜
世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~ 「マルキ・ド・サドという怪物」を読む
第一部『ソドムの百二十日』:「欲望を分類する」という狂気
episode.2 「サドという男は、何者だったのか」
※2026年09月17日23時59分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月17日23時11分【note有料投稿】
■第一章:プロヴァンスに生まれた貴族の子
司書は、肖像画の額縁に、そっと指先を這わせた。「サドは1740年、パリのコンデ館で生まれました」と司書は語り始めた。「父はサド伯爵、母はコンデ公家に連なる家系の女性でした。つまり彼は、フランス貴族社会の中でも、かなり由緒ある血筋に生まれた人物だったのです」
私は、この生まれの良さが、後の彼の人生に、どのような影を落としたのかを尋ねた。
「良い問いですね。貴族社会というものは、生まれながらにして特権を約束される一方で、その特権にふさわしい振る舞いを、絶えず求められる世界でもありました。幼いサドは、コンデ公の息子と共に育てられたと伝えられています。つまり彼は、フランス王家に連なる人々の傍らで、少年時代を過ごしたのです。この環境は、彼に強烈な自尊心と、同時に、その自尊心を裏切られたときの、強い反発心を植え付けたのではないかと、私は考えています」司書は回廊をゆっくりと歩きながら続けた。「彼が育ったプロヴァンス地方の家系にも、目を向けておく必要があります。南フランスという土地は、パリの宮廷文化とはまた異なる、独自の風土と気質を育んできました。乾いた光、荒々しい岩山、そして中央から距離を置いた独立心。こうした風土が、彼の気質のどこかに、確かに刻まれていたのかもしれません」
私は、幼少期の家庭環境についても、もう少し詳しく尋ねてみた。司書は少し考えてから答えた。
「幼いサドは、比較的早い時期に、両親のもとを離れて育てられています。父親は外交官としての職務で各地を転々とし、母親もまた、宮廷での務めに多くの時間を費やしていました。結果として、幼い彼を実質的に育てたのは、伯父にあたるサド神父であったと伝えられています。この伯父は、聖職者でありながら、決して禁欲的な人物ではなく、むしろ享楽的な暮らしぶりで知られていました。幼少期における、この矛盾した大人の姿との出会いもまた、後の彼の人格形成に、少なからぬ影響を与えたのではないかと、私は考えています」
■第二章:戦場を駆けた青年将校
司書は、隣の肖像画(軍服を纏った、より年若い姿の人物画)の前で立ち止まった。「サドは若くして軍人としての道を歩み始めます」と司書は言う。「七年戦争の時代、彼は騎兵連隊の将校として、実際に戦場に立ちました」
私は、この軍人としての経験が、後の作家サドに、どのような影響を与えたのだろうかと尋ねた。
「戦場という場所は、人間の生と死が、極めて直接的な形で剥き出しになる空間です。理性や道徳といった、平時には堅固に見える規範が、戦場という極限状況の中では、いとも簡単に揺らいでしまう。この経験は、後年、彼が作品の中で繰り返し描くことになる『理性の限界』という主題の、一つの原体験だったのではないかと、私は推測しています」司書は肖像画をじっと見つめた。「もちろん、これは推測の域を出ません。戦場での具体的な体験について、サド自身が詳しく書き残したものは、ほとんど残されていないからです。ただ、若くして生と死の境界線に立ち会った経験が、人間という存在への、ある種の醒めた視線を、彼の中に育んだであろうことは、想像に難くありません」
私は、軍人としての彼の評価についても尋ねてみた。
「記録によれば、彼は決して無能な軍人ではなかったようです。むしろ、真面目に勤務をこなす将校であったという証言も残っています。この事実は、後世に流布した『生まれながらの放蕩者』という、単純化されたサド像とは、やや異なる姿を示しています」
私は、除隊後の彼が、どのような生活に入っていったのかを、さらに尋ねてみた。
「戦争が終結すると、多くの貴族の子弟と同様に、彼もまた、パリの社交界へと戻っていきます。軍務という緊張と規律に満ちた日々から、享楽的な都市生活への急激な転換は、彼の内面に、ある種の落差を生み出したのかもしれません。戦場で培われた、生と死への醒めた視線と、平時の社交界における空虚な享楽との間の隔たりが、彼をして、より極端な刺激を求めさせる一因になったのではないかとも、私は考えています」
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ここまでお読みいただき、ありがとうございます。ここまでの無料パートでは、サドという人物が、いったいどのような環境に生まれ、どのような青年期を過ごしたのかを追ってきました。由緒ある貴族の家に生まれ、王家に連なる環境の中で育ち、やがて軍人となる。七年戦争の時代には騎兵連隊の将校として戦場にも立った。つまり、私たちが後世から「マルキ・ド・サド」という名前を見たときに最初から抱いてしまいがちな、あの巨大な「怪物」のイメージとは、少し違った一人の青年が、そこには存在していたわけです。しかし、サドの人生が本当に大きく動き始めるのは、ここからです。
結婚。
相次ぐ醜聞。
貴族社会との衝突。
そして、彼を長期間にわたって追い続けることになる、妻の実家との深刻な対立。
やがて彼は、ヴァンセンヌやバスティーユという、当時のフランスを象徴する牢獄へと送られていきます。そして皮肉なことに、自由を奪われたその場所こそが、「作家サド」が巨大な文学世界を生み出していく舞台になっていきます。前夜に扱った『ソドムの百二十日』もまた、その獄中生活と切り離して語ることのできない作品です。ここから先は、
「なぜサドは獄中で書いたのか」
「長い幽閉生活は、彼の思想と文学に何をもたらしたのか」
「現実に生きたサドと、文学作品の中に現れる“サド的世界”は、本当に同じものなのか」
という、今回のテーマの核心へと踏み込んでいきます。
さらに、フランス革命という巨大な歴史的転換点の中で、サド自身がどのような立場に置かれ、旧体制と新体制の双方との関係をどのように変化させていったのか。最後にはもう一度、最初の問いへと戻ります。
「マルキ・ド・サドという怪物は、本当に怪物だったのか?」あるいは、私たちが「怪物」と呼んでいるものの奥には、獄中で孤独に文字を書き続けた、別の一人の人間がいたのではないか。肖像画の表面に残された「怪物」の顔ではなく、その額縁の奥に隠された一人の男の生涯を、ここからさらに辿っていきます。
世界禁書図書館の回廊は、まだ終わりません。ここから先は、サドという男の人生が、文学そのものへと変貌していく場所です。
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https://note.com/ideal_rabbit5011/n/n6507be957320
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