サディストもマゾヒストも、なぜバランスが悪い(第379夜)(2026-09-14 15:06) | 総合SМ倶楽部 厚木エレガンスのSM店日記一覧

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2026-09-14 15:06サディストもマゾヒストも、なぜバランスが悪い(第379夜)

サディストもマゾヒストも、なぜバランスが悪い(第379夜)
『精神と性癖のバランスが極端に悪いからサディスト、マゾヒストなのでは無いでしょうか?』と質問されると的確に返す言葉は見つからない。この先の未来もサディスト、マゾヒスト考察は続くのだろうし、そこに完全な答えが出される事は、実は永遠に無い。時代が移り変われば定義は少しずつ体型を変える。何度でも常識的見解は移り変わる。結果としてこの問題は答えが移動していく。サディストとマゾヒストは対極にある事象ではない。それぞれが単独の偏った構造と捉えている。住んでいる国家や時代背景によって、大衆的見解も哲学的理論も姿形を変えていく。日本ではSMとして括られ、まるで双極として語られる事も多いが、サディスト及びマゾヒストの本質を理解出来ているかは別問題だ。理解力には個人差があるので全員が同じ結論に到達する事もない。そして、日本のサディスト考察とマゾヒスト考察には、重大な欠陥がある。SMを語る上で避けて通れないのが性的交わりだ。どんな書物でも、どんなテレビ番組でも有識者が語る理論、あるいは哲学的考察の中に、日本の風営法とSMクラブが語られる事は一切無い。実は現代の日本人の3~5割がSMプレイを体験したのがSMクラブだという真実は隠される。書物やテレビ番組で語られる内容は机上の空論でしかない。本来ある筈の真実は無かった事にされた上で語られるサディストとマゾヒストの考察は、偏った結論を導き出してしまう。ガリ勉集団の理論ではSMは語り尽くせない。それを番組や書物にしても、日本のSM文化の表面さえもかすっていないのだからお笑い草だ。それくらいにSMとは奥が深いし複雑怪奇な様相を施す。ガリ勉君が語るサディストマゾヒスト研究に面白みを感じる事は全く無い。私は風営法もSMクラブも熟知しているので、日本人が接しているサディストとマゾヒストの本質が別に存在している事を知っているからだ。この構造を理解出来ているのはSMクラブに関わる経営者、スタッフ君、キャストさん、お客様だけだ。そしてSMクラブが語られている書物に目を通す読者様だけだ。大前提として、この複雑怪奇な構造を意識した上で、ここから先の見解を語って行こうと思う。これはSMクラブを知るものだけが共有出来る日本のSM理論の欠片だ。


SM奇譚 創戯旅団 第379夜 サディストもマゾヒストも、なぜこうもバランスが悪い
※2026年09月14日15時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月14日15時11分【note無料投稿】


何故、書物やテレビ番組では、日本のSMには風営法とSMクラブが密接に関わっている事をスルーされているのか?ここには社会の歪みが深く関わる。日本人の中では、風俗、風営法、SMクラブというキーワードは隠して置きたい実社会の闇として処理される。日本人の大半には、見ない聞かない言わない世界として隠されてしまう。すると全てのサディストマゾヒスト哲学は片端の理論でしか無くなる。そもそもが風俗、風営法、SMクラブを知らない人間が語るサディストマゾヒスト哲学には真実味がない。3割~5割以上のSM体験者がSMクラブを経由しているのであれば、SMクラブの実態をSM哲学の中に踏まえて語らないと理論は成立しない。『サディストマゾヒスト哲学は性癖を含まない』と、学者の反論が聞こえてきそうだが、所詮はダブルスタンダードだ。サドもマゾッホも性的作品を綴っているからだ。人間の欲望を素直に書き記したから、時代を超越した名作として後世の人々に影響を与えているのだ。危険思想と捉えられ禁書扱いにもなった。その本質には性の定義が必ず存在した。だから、ガリ勉君が学校で語る哲学ではないのだ。私が語る方が幾分か真実に沿った内容になるだろう。何が言いたいか?大学でサドやマゾッホを学んでも無意味じゃないか?彼ら、或いは彼女らに教えておこう。一度でもSMクラブで遊ぶか働いて見れば、現実は自分達が語っている世界観の中に無い事が分かる。戦争をした事もない人間に戦争を語らせるのと同じ事である。机上の空論に真実は存在しない。真実さえも存在しないのなら学校では教えるべきでは無い。テレビ番組で見解を述べるのも、みっともないのでお止めになられるべきだろう。『飛躍している』とでも反論したいのだろう?残念ながら、私達界隈の人間を舐めないで頂きたい。『あんた達よりは、遥かに真実に近い見解を我々は持っている。』しかし、マネタイズの題材として、これからも哲学者の金儲けに、SM哲学は利用されるであろう。視聴率稼ぎにテレビ番組にもなるであろう。我々SMクラブの関係者は、パンドラの箱を開けて、中身を覗いてしまった人間である事を知っておいて欲しい。私は答えの見つからない性的欲求を死ぬまで追求していたい。それは楽しい人生なのだが、考えすぎ注意、やりすぎ注意だ。私は一心不乱にSM考察を続けているが、答えが見つからないまま、1,001夜物語のゴールに到達してしまうだろうと予測している。私の辞書にほどほどは無い。突き詰めたい欲求よりも、突き抜けてしまう人間性が大問題だ。誰も私を救えないだろう。私がパンドラの箱を全て開けまくって見てくるので、皆さんは文章で『そんな感じなのか!?』と楽しめば、それで良いではないか。SMクラブにお忍びで通ってSMを楽しめば良いのだ。その横でボロ雑巾になった私が『よかよか』と柔かに笑っている事であろう。私もまた、バランスが悪い人間の典型例だ。だからこそ面白い。もう引き返す事は出来ない。私は自分の事を、精神のバランスが悪過ぎるマゾヒストの悪い例だと思っている。私にしか見てこれない世界があるのであれば、本当に見てこようと思う。私の本音だ。マル・キ・ド・サドの作風が終生変わる事が無かったのは理解出来る。抑圧された欲望は、心の中で爆発する。爆発した時点で、実は引き返す事が出来なくなる。これは同じ経験をしている人間でなければ理解出来ないであろう。偏ってはいるが、卑下されたり馬鹿にされる事では無い。誰もが生きる事に真剣なのだ。バランスの良い自分と見比べてマウントを取る行為は愚かだと考えた方が良い。これは大前提。サディスト、マゾヒストを馬鹿にするなよという話だ。マル・キ・ド・サドは犯罪人として長く獄中にいたが、犯罪者であると同時に、作家として非凡だった。その文才は認めざるを得ない。私なんかSMクラブに関わっている人間なのだから無関係では無い。サドに影響を受けた職業に携わっている。本人に自覚があったとは思えないが、マル・キ・ド・サドが後世に与えてしまった影響下の下に生息しているのが私だ。こうも考える事が出来る。300年後の日本に風営法とSMクラブが残っていたとしよう。私は先人の一人として語られる事になる。私に才能があるとは一言も言っていない。ログを残してしまったので、幸か不幸か文献が残ってしまうだけだと話している。同時にこれも記しておこう。全ての現代日本のSMクラブの文献の中で一番正しい事を言っているのが私かも知れないと、皆さんは分かっているのだろうか?『法律違反はするなよ。軽犯罪でも犯罪に変わりはないぞ』と誰も教えていない事が大問題だと、私は指摘しているのだ。その大義名分を分かっていて黙殺してしまった業界人が大半だった事を証明している。黙殺した理由が歪んでいる。お金にならなし、黙殺した方が共感を得られると、裏では金勘定しているからだ。そんな人達には、警察署の中で、『SMプレイでセックスをする時に、どんなパターンだと犯罪になるか分かるか?』と聞いてみたいところだ。全員が正解を答える筈だ。『風俗でSMプレイをした時と、金銭の授受が発生したSMプレイの中でセックスをする事は犯罪です。』とちゃんと答えるだろ。典型的なダブルスタンダードだ。理屈は分かっていても、都合の悪い時は黙殺してしまおうと考えている。であるならば、本当に私は確信を付いているではないか。何度でも言おう。『わ・た・し・だ・け・が』だ。全ての風俗店と全ての風俗ポータルサイトが、『風俗店でセックスする事は犯罪です。皆様には固く本番行為をしない事をお願い申し上げます。発覚した場合は、お客様の出入りを禁止させて頂きます。また、当該キャストも解雇します。』とでも宣言させないと誰も規則を守らないだろう。それが人の欲望であり射幸心だ。分かっていても守れない悲しい性が人にはある。残念ながら抑えが効かないという点においては、本番厠はサディスト、マゾヒストと変わらないほどに抑えが効いていない。否定した人間には真顔で、『どの口が言ってるんですか?』と柔かに嫌味を言ってやろう。私はマゾヒストである事を恥じてはいない。誇る事では無いが、変えようの無い性癖であり、自分の身体の中に染み付いた感覚だ。それが自分なのだから、それでいいじゃないか。全くやれやれだ。文章を書くという事は自分を主張する事だ。こうやってSMやSMクラブを表現している事は、私の人生の中でも楽しい時間を過ごしている。出来る事ならば、その楽しい時間をSMクラブの発展に利用出来れば、私の文章も少しは役に立つだろう。性格、性癖の偏りに苦しんでいる人間は、全世界に何億といる。実はこれは凄い事だ。コロナウイルスよりも人間にとって大事なのだ。しかも不治の病だ。致死力は無いが、精神病になるまで思い悩むと自死や殺人に発展する。しかもサディスト、マゾヒストになるまでに突き抜けてしまうともう戻る事は出来ない。私の文章が、世界で思い悩んでいる人々の処方箋になれば良いと、本気で思っている。少しでも悩みを軽減出来れば良いと願っている。『直す事は出来ないが、寄り添う事は出来る。』精神科医が精神病を直せるなんて詭弁だと、私は本気で思っている。結局はマネタイズの道具に、こちらの病が巧妙に使われて終わりだと思う。なら『直りませんが、誠心誠意寄り添わせて頂きます。』と宣言する方が、まだ人間らしいと思ってしまうのは、私だけだろうか?同じ事を考えた人は必ず居ると思う。ここまで話せば、この定義を理解して貰えると信じている。『マル・キ・ド・サドもサッヘル=マゾッホも狂人では無い。人の欲望を文献にしたためる天才だった。その才能に人生を振り切った作家だった。であるならば、評価されて当然であり、軽蔑される存在になってしまう事も仕方がない。彼らは、サディストもマゾヒストも直せなかったのだ。そもそもが、病気とは考えていないのだから、直す必要性が無い。殺人を犯さなかったのは、せめてもの救いだ。最後の最後の一線は超えてないじゃないか。ちゃんと理性は働いている。この先も彼らを崇める人は後を断たないだろう。イエス・キリストの行いは巧妙に後世の歴史家に書き換えられた伝記だ。サドとマゾッホが書いた書物は書き換えられてはいない。禁書として世の中から隔離されていただけだ。ありのままの思想が保存されるから書物というログは重要なのだ。文才がある事よりも、事実が書き換えられずに残っている事には意味がある。私達のSMコミュニティーも後世に残されて行く筈だ。『SM奇譚 創戯旅団』は、SMクラブと真摯に向き合っている書物だ。SMクラブは風俗店なのだが、限度を知らないサディストとマゾヒストが集結するコミュニティーとして存在している。ただの風俗店として位置付ける人が大半だろうが、中には私の様な変わり者も居て、風俗店としての側面以上の趣を見出そうとする人間まで出てくる。だから、SMクラブは専門誌になるし、専門サイトになるし、映画にもなれば、小説にもなる。文脈が豊富であり、センシティブでマジカルなクラブなのだ。最後まで余談だがセンシティブでマジカルなスロットが出るらしい。私も笑ってしまった。その変化球は大いにありだろう。私もセンシティブでマジカルな手法を肖りたいものだ。バランスを崩しながらも、怯まずに突き抜けてしまう人達のコミュニティーだからドラマが生まれるのだ。言い過ぎでは無い。時代にアジャストして、きっちりとこの世界は継承されて行く。必要とされる。私のコミュニティーも次世代の若者達にバトンを渡さねばと考えている。

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