支配と服従と不満と破綻(SM奇譚 創戯旅団 第375夜)(2026-09-08 10:59) | 真性痴女ハードコアコネクション グランブルー厚木のSM店日記一覧

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2026-09-08 10:59支配と服従と不満と破綻(SM奇譚 創戯旅団 第375夜)

支配と服従と不満と破綻(SM奇譚 創戯旅団 第375夜)
支配と服従と不満と破綻。実は私はこれで1SETだと思っている。支配と服従に黄金比率は存在しない。するとバランスが保たれ続ける事は無いので、不満は蓄積して、やがて関係性は破綻する。どんな屈強な帝国も、やがて終わりを迎える。支配と服従による関係性だからだ。現代社会に於いても、成熟した民主主義でさえ綻びは生まれる。いつの間にか国家よりも大富豪がお金を持っているのは良くない構造だ。民主主義の名の下に封建制度よりも酷い貧富の差が生まれてしまっている。本来であれば、そんな時は大富豪が稼いだお金を召しあげて貧しい人間に還元すれば問題は解決する。しかし、そうも上手くは回らない。人間はかならず法の元の平等を曲解する。いつしか不満は頂点へと到達して、支配と服従の構図は脆くも崩れる。人間は永遠にその争いの歴史を紡いできた。マル・キ・ド・サドは長い間幽閉されていたので、自分が理想に掲げている支配を手に入れずに死んでいった。サッヘル=マゾッホは妻に自分が思い描いた理想を演じさせてしまったが為に夫婦関係を崩壊させた。支配する側も服従sる側も理想を求めて反動を招く事となり、桃源郷の構築に失敗した事を証明している。


SM奇譚 創戯旅団 第375夜 支配と服従と不満と破綻
※2026年09月08日11時44分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年09月08日11時11分【note無料投稿】


この構図をSMクラブに当てはめてみよう。SMクラブでSMプレイを行う場合は一期一会の中で絆を芽生えさせる難しいミッションが追加される。初対面の人間を信頼するのは不可能に近い。すると関係性は一期一会では成立しない。ある程度の信頼関係が出来上がるまでには時間もかかるが金もかかる。出費の大きさが間口を狭めてしまう欠点がある。一期一会では完結しない。一回では本指名になるかどうかの手応えを感じられるかも疑わしいレベルだ。難しい仕事をしているのだ。一回で信用して貰えるほど、お客様は甘く無い。結果として、僅か数回で見切られてしまう事が多い。上手くいかない理由を、お店の所為に押し付けたところで問題は何一つ解決しない。ところが本人はお店を恨む事で気持ちを着地させる。思考を停止して他責した方が楽だからだ。しかし、その楽は結論からは程遠いので、どんなにお店に責任転嫁をしようが、何一つ問題は解決されない。そうやって他人の所為にしたまま、お店から消えていく女性が多いのがSMクラブだ。結局のところは、お客様もお金を払ってまで人間関係を構築する気はないのだから、最初から関係性は破綻しているではないか。快楽どころの話ではない。不満を溜める為にお金を払っている惨劇が生まれてしまう。いつの間にかSMクラブのサービスは、射幸心を煽るセンセーショナリズムに傾倒し本質を見失う。そうやってSMクラブは発展が止まった。発展が止まってもマネタイズは成立しているから、現状維持か衰退しながらお店は維持される。このズレた構図がコンプライアンス違反を生み出しているのだから、SMクラブが抱えている闇は深い。誰もが仕事を分かったフリをしているだけで、問題解決の糸口は誰も何一つ見つけてはいない。SMクラブの営業方法は各店でアプローチが大きく違う。様々な手法で、自分達の生きる道を切り開いてきたのがSMクラブだ。少数のお店しか残れなかった程の難易度高いハードルを、皆んな突破して生き残ったのだから大したものである。素直にリスペクトしている。その生命力たるや語られていないだけであって、想像を絶する戦いを経験してきたのだろう。私が主義主張を戦わすのは無意味だと論じているのは、全てのSMクラブに敬意を表しているからだ。主義も主張もまるっきり違うのだから、話が噛み合わないのは当然だ。誰も他店を真似る事に興味がないのも理解出来る。風俗をマネタイズの道具として見ているのなら、SMクラブを経営する必要がない。最大公約数で効率を求めるなら、デリヘルを手がけた方が遥かに効率的だ。それでもSMクラブの経営、営業に拘っているのは何故か?理由は人それぞれで、そこには劇的なドラマがあったはずだ。先ほども言ったが、壮絶が苦労話が裏にあるのが想像出来る。ここまでSMクラブの数が絞り込まれてしまうと、もはや一店舗一店舗が妖怪の様な佇まいで異様さと異形さを醸し出し始める。各SMクラブの伝統を知りたいと思うのは、私だけの欲求なのだろうか?私は知れる限り全国のSMクラブの成り立ちと歴史を知って尊重したいと思っている。皆さんも知っての通り、私は変わり者の中でも、さらに変わり者だと思う。SMクラブの歴史を知ったところで、私の手がけるSMクラブの役に立つかは別問題だ。先ほど語った通り、各々のSMクラブの矜持は相容れない。それでも、私はリスペクトを持って横の繋がりだけは持っておきたいと考えている。それは何故か?根拠ならある。支配と服従を取り扱う仕事である以上は、この先も不満と破綻とも隣り合わせだからだ。横のつながりが、何かヒントを齎すのであれば、人間関係は幅広く持っておいた方が良い。各々のSMクラブの生き方が独特すぎて、そこに参考になる答えがある事は少ないだろうが、貪欲に生存戦略を構築してきた不屈の意気込みだけでも学ばなければならない。絶滅危惧種と揶揄される業界だけに、同じ境遇に生きる先人も後輩も慈しまなければ罰があたるというもんだ。私は本気でそう思っている。

支配と服従には黄金比率が存在しない理由を考えていこう。最初はそれでも表面上は上手く回る。いや我慢出来ている。ところが途中から様相が変わり始める。心が想像以上に離れて行く。ズレは修復不可能なほどに大きくなり、やがて憎悪に変わる。禁書と呼ばれたり、聖典と呼ばれたり、時代によって価値が大きく変わるが、マゾッホとサドの小説はハッピーエンドを迎えてはいない。もし、どちらの主義にもハッピーエンドの成功例があったなら崇拝されているだろう。SMもSMクラブも違う名称になっていたであろう。ところがSMはバッドエンドを迎える関係性が経典となった。人々の共感を呼び起こすSM文学は、関係性が崩壊する事が大前提としてお約束で存在していたからだ。支配と服従の黄金比率もユーフォリアも無かったのだ。BDSMの文脈は服従側が支配権を委譲する事によって関係性が成立する流れを構築している。それであれば服従側は憎悪を抱きはしない。支配権は服従側にあるのだから文句はあまりない。そうする事でしか関係性は成立しなかった裏返しでもある。DVはSMではない。服従側が望んでいる関係ではないから成立する事はない。このケースは犯罪となる。不同意だからだ。マル・キ・ド・サドが見誤ったのは服従側が募らせる憎悪の深さを軽んじた事だ。マル・キ・ド・サドは神を冒涜する事を、信教者に強制して逮捕されてしまった。それを正当化してはならない。現にマル・キ・ド・サドは獄中生活が非常に長かった。その間も作品を書いていた。人々の共感を後世に遺してしまった事は狂気でしか無かったのではないだろうか。共感を得て、犯罪者を誕生させてしまった事も少なからずあった筈だ。禁書であり不朽の名作では無い所以だ。そしてSMの概念の片方にサディズムが刻まれる事となった。これは由々しき問題でもある。ハッピーエンドの存在しない物語を人々が演じ続ける事になるからだ。その後にBDSMが定義づけされた事は健全だったと私は考えている。どこかでSMをSMごっことして定義づける事で事件事故を未然に防ぐ自制心が生まれた。それ自体をSMの進化だと私は位置付ける。さらにBDSMと日本古典SMと風営法の融合も私は立派な新しい文化だと捉えている。日本独自のSMを発展させる枠組みとして風営法は機能する事になった。これはこの先において西洋のSMだけではなく東洋のSMを含めても、日本のSM文化が全世界の中でも異質な流れを構築する要因となる。M性感なんて風俗も生まれた。それとは関係の無いところでは、SM文化はSNSを通じてカオスな考え方を増幅させている。メッシーや貢ぐ君や人間灰皿がまともな所業か?奴隷契約書に至っては犯罪だ。人身売買以外の何者でも無い。風営法があったから、日本人は自制出来ているとも言える。この時点でSMクラブ
は一人歩きを始めていると考える事が出来る。相変わらずにコンプライアンス違反するお店も多く、どの様に常識を植え付けて、日本のSMクラブの意識を高めるかは、また別の課題だろう。まずは風営法の存在が日本の性文化を作っている事を明記しておく。

例え風営法が日本にあったとしても、支配と服従からは、不満も破綻も取り除く事は出来ていない。どこかで日本人の根底にはBDSMの精神が抜け落ちていないかとさえ疑ってしまう。風営法が機能していないのも問題だ。結果として、不満と破綻が支配と服従と1SETである欠陥構造は改善される事なく、危険性を孕んだまま日本のSM文化が成立している。そのアンバランスさを面白いと取る人も多い。しかし、私の様に苦々しく思う人間もいる。それもまた日本独自の悩みなのだろう。そして日本SM(SMクラブ)を進化させる為には、風営法が書き変わる程の事件でも経由しないと構造が生まれ変わる事はないのかも知れない。『横浜風俗大学』が風俗教育として機能する事を本心から願っている。正しい倫理観の植え付けは大事な事だ。それは教育であって洗脳では無い。大義名分のある正しい行いだと信じている。SMごっこであれば、支配と服従ごっこになるので、不満と憎悪がSMプレイから切り離される可能性は残されている。もう少し、ブラッシュアップが必要だと思うのだが、個人の意識を高めるだけでは問題は解決しないと考える。マニュアルとしてシステムを組み込まなけれな不満と憎悪の排除は不可能だと認識せねばならない。日本のSM文化はまだまだ発展の余地を残している。前途洋々でもある事を忘れずに明記しておこう。構造理解をしないで生きている人も多いと思う。SMやSMクラブの構造理解なんて、誰が考えているだろうか?結果として、間違った認識が常識として通用してしまう閉鎖的な業界になっていないだろうか。私は最近、SMクラブ浄化作戦なんて言葉を思いついた。キャッチフレーズとしては最適なフレーズだろう。絶滅危惧種として数を減らしながら存続するよりかは、浄化してでも数を増やすべきではないだろうか?私は健全化を提案したい。矛盾しているとも思わなくないが、風営法の中で正当に生きるSMクラブの枠組みが必要とされていると真剣に考えている。だからこそ界隈に警鐘をならし続け、まるで歌舞伎町浄化作戦の様なネーミングの奇策を用いて、SMクラブを増やして行けないものかと暗中模索しているのだ。

『支配と服従には、不満と憎悪が1SETだ!』この定義づけを目にした事がある哲学者はいるだろうか?日本人の哲学者がサドやマゾッホの事を語っている番組を何度も見かけている。その見解は立派であり間違ってはいない。しかし、日本SMの見識としては欠落している箇所がある。日本でSMを楽しんでいる7割上の人間が風営法を経由している事だ。この観点の欠落を補完出来るのは、SMクラブ事業者だけであり、コンプライアンス遵守の感覚を持っていないと何も語る事は出来ない。風営法とSMクラブの相性が良く無い中でも、どの様にSMクラブを定義づけるかに頭を悩ませた事がある人間にしか語れない真実がある。これは全世界のSMファンや哲学者や心理学者に問題定義したい。日本の風営法は悪法では無い。だからこそ守られるべきルールでなければならない。そしてその中で日本の風俗文化が正常に機能する事を願っている。これが、『横浜風俗大学』学長としての日本のSMクラブの未来を案ずる見解である事を、ここに記しておこう。

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