『Venus in Furs』マゾヒズムの原典.19(2026-08-25 16:10) | 総合SМ倶楽部 厚木エレガンスのSM店日記一覧

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2026-08-25 16:10『Venus in Furs』マゾヒズムの原典.19

『Venus in Furs』マゾヒズムの原典.19
■深夜二時、鏡の間

司書は今夜、これまで一度も案内されたことのない場所へ、私を連れて行った。書架というより、鏡張りの小さな部屋だった。四方の壁に古い鏡が掛けられ、燭台の炎が、幾重にも反射しながら揺れている。

「今夜は、少し変わった部屋から始めましょう」と司書は静かに言った。「本を読むのではなく、自分自身を読む夜になるかもしれません」司書は鏡の一つに、そっと手を触れた。「これまで十八夜にわたって、私たちは一冊の小説をめぐる、様々な旅をしてきました。作者の生涯、契約の構造、大衆文化への流入、そしてAIという新しい技術との出会い。今夜はその歩みを、一度立ち止まって振り返ります。私たちがずっと語ってきた“性癖”というもの、その正体そのものに、正面から向き合ってみましょう」

私は、この部屋に足を踏み入れてから、どこか落ち着かない気持ちを抱いていた。書物に囲まれているときとは違い、四方の鏡が、こちらの姿をそのまま映し出してくるからだ。司書はその戸惑いを見透かすように、静かに言った。

「居心地の悪さを感じているのですね。それは、とても自然な感覚です。これまでの夜、私たちは常に、書物という、自分の外側にあるものを見つめてきました。けれど今夜だけは、その視線を、少しだけ自分自身へと向け直す必要があるのです。鏡は、時に、書物よりもずっと雄弁に、多くのことを語りかけてきます」


SM奇譚 創戯旅団 外伝第71夜
世界禁書図書館~SM・退廃・倒錯文化研究~
『Venus in Furs』サッヘル=マゾッホ マゾヒズムの原典を読む
episode.19 「“性癖”とは何なのか」
※2026年08月25日16時22分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年08月25日14時11分【note有料投稿】


■第一章:欲望とは、何かが欠けている感覚

「まず“欲望”という言葉から、始めましょう」と司書は言った。「精神分析の世界では、欲望とは、常に何かが欠けている状態から生まれるものだと考えられています」司書は鏡の中の自分を見つめながら続けた。「満たされている状態からは、欲望は生まれません。欲望は、満たされていない、足りない、届かないという感覚があって初めて、その姿を現します。ザッヘル=マゾッホが描いたセヴェリンもまた、ヴァンダという存在に、何か根源的に欠けているものを見出し、その欠落を埋めるために、支配を求め続けました」

私は、それでは、性癖というものは、欠落を埋めるための手段に過ぎないのかと尋ねた。司書は少し首を傾げた。

「手段というより、欠落そのものが、独自の形を取ったものだと言った方が正確かもしれません。ある人は、その欠落を、支配されることで埋めようとする。またある人は、支配することで埋めようとする。この“埋め方”の違いこそが、その人固有の性癖として、外側から観察できる形を取るのです」

私は、それでは、その欠落は、いつか完全に埋まることがあるのだろうかと尋ねた。司書は静かに首を振った。

「おそらく、完全に埋まることはないでしょう。精神分析の考え方では、この欠落は、人間が言葉を持ち、社会という関係の中に生きる限り、決して消え去ることのない、根源的な条件だとされています。欲望とは、埋め続けようとする、終わりのない運動そのものなのです。だからこそ、ザッヘル=マゾッホの物語も、一度の契約で満たされて終わるのではなく、繰り返し、繰り返し、同じ主題へと立ち返り続けるのでしょう」

私は、それは少し苦しいことのようにも思えると呟いた。司書は優しく笑った。

「そう感じるのも無理はありません。けれど、この終わりのなさを、苦しみとしてだけ捉える必要はないのです。埋まらないからこそ、私たちは物語を紡ぎ続け、誰かと関係を結び続け、新しい体験を求め続けることができる。もし欲望が完全に満たされ、そこで完結してしまうのなら、私たちはきっと、これほど豊かな文化を、これほど長い時間をかけて、育ててくることはできなかったでしょう」

■第二章:自我という、揺れ動く鏡

司書は隣の鏡へと足を進めた。「次に、“自我”という言葉について、お話ししましょう」と彼女は言う。「私たちが“自分”だと思っているものは、実は、一つの固定された実体ではありません。それは、他者との関係の中で、絶えず形を変え続ける、揺れ動く鏡のようなものなのです」彼女は鏡の表面を指でなぞった。「セヴェリンがヴァンダに服従することを望んだとき、彼はある意味で、自分自身の自我の一部を、彼女に預けていました。日常の中で背負っていた責任や、決断の重み。それらから解放された自分を、彼は服従という体験の中に見出していたのでしょう」

私は、それは自我を失うことと、どう違うのかと尋ねた。司書は静かに微笑んだ。

「良い問いです。失うのではなく、一時的に手放し、そして再び取り戻すのです。この“手放し、そして取り戻す”という往復の運動こそが、性癖という体験の核心にあるのだと、私は思います」

私は、なぜわざわざ手放す必要があるのかを、さらに尋ねてみた。司書は鏡の中の自分の姿を見つめながら答えた。

「私たちは日常の中で、常に何かを選び、決断し、その結果に責任を負い続けています。この“自分で選び続ける”という営みは、生きていく上で欠かせないものである一方、絶えず私たちに、小さな重さを積み重ねてもいます。服従という体験の中で、この重さを一時的に相手に預けるとき、私たちは、自我という鏡を、一度、意図的に曇らせているのです。そして、その体験が終わったとき、鏡は再び澄み渡り、私たちは、少し軽くなった自分自身を、そこに見出すことができるのでしょう」

私は、この“軽くなる”という感覚について、もう少し詳しく知りたいと思った。司書は少し目を伏せて続けた。

「日常を生きる私たちの自我は、いわば、絶えず緊張を保ち続けている筋肉のようなものです。決断し続けること、評価され続けること、責任を負い続けること。これらはすべて、目に見えない負荷として、私たちの内側に蓄積していきます。服従という体験は、この緊張した筋肉を、一時的に、しかし深く弛緩させる機会を与えてくれるのです。そしてその弛緩の後にこそ、私たちは、これまで気づかなかった、自分自身の新しい輪郭を、鏡の中に見出すことができるのかもしれません」


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ここまで読んで頂き、ありがとうございます。ここまでの前半では、 欲望とは何かが欠けている感覚から生まれること、 そして自我とは、他者との関係の中で 絶えず形を変え続ける、揺れ動く鏡のようなものであることを 見てきました。

しかし、ここからが、今夜の本題です。なぜ、私たちは自分の欲望を、 そのまま素直に生きることができないのでしょうか。“抑圧”という力は、 いったいどこから生まれ、 そして、性癖という現象と、 どのように結びついているのでしょうか。

欲望、自我、抑圧。 この三つの鍵を揃えたとき、 150年前にザッヘル=マゾッホが物語に刻んだ、 あの根源的な問いの答えに、 私たちはようやく手が届くのかもしれません。世界禁書図書館・地下三階、鏡の間の奥へ。 司書とともに、 もう一段深い場所までお進みください。

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