2026-08-12 02:04とびっきりの恐怖体験(SM奇譚 創戯旅団 第355夜)





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SM奇譚 創戯旅団 第355夜 深夜のほんとうにあった怖い話⑥とびっきりの恐怖体験
※2026年08月12日01時33分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年08月12日01時33分【note無料投稿】
震え上がるほど怖い思いはしたくてするものではない。大概は、そんな恐怖体験をする時は突然想定外のシチュエーションに遭遇するから、何の心の準備もないままに、ノーガードに恐怖を煽られる。幽霊屋敷も、肝試しも、恐怖映像も、都市伝説も、百物語も、これから怖い思いをしますよと身構えているところに恐怖体験を重ねる。それでも誰か隣に居てくれたりするから怖さが少し緩和する事もある。私が国道16号沿いにある相模原病院と呼ばれた廃病院を訪れた時は、観光スポット化していて何一つ怖くなかった。屋上から夜の国道16号を眺めながらタバコを吸ったもんだ。峠で夜景を眺めるよりも人が多いのだから、怖いなんてシチュエーションではなかった。今回する話は怖い話なのかは、私と皆さんの尺度は大きく違うであろうから分からない。しかし、突然恐怖を感じていた私に取っては、怖いとしか覚えていない、身の毛がよだった経験だ。あまり夜中に読む事はお勧めしない。
①糸満の古いビジネスホテル
あれは私がピンサロを辞めて全国を旅しながらパチスロを打っていた時の話だ。西日本縦断旅打ちツアーを1ヶ月半で敢行した事が2回あるのだが、想定より1ヶ月早くピンサロを辞める事になった私は、真夏に暇だったので旅をしながらパチスロを打ち続ける企画を実行する事にした。最初の西日本横断は8月のお盆過ぎから9月終わりまでの1ヶ月半で沖縄から神奈川県まで一県づつ上京するスケジュールを組んでみた。東京都内でパチスロを打ち、その日は勝ったお金で羽田のホテル日航で豪華な宿泊を楽しんだものである。飛行機で那覇へと渡り4日間沖縄県には滞在した。那覇→糸満→名護→本部と転戦した沖縄打ちだ。当時の沖縄では沖スロの王道、マックスアライドという小さなメーカーのトリプルクラウン-30が全盛だったのだが、大手メーカー山佐のレキオ30が急激にシェアを拡大している時期だった。私はトリクラ→レキオ→レキオ→トリクラと機種を選択。四連続勝利を重ねて最高の形で沖縄実践を終えたのだが、その二日目の糸満での出来事を語ろうと思う。その日は糸満の綺麗なパチンコ屋で開店から夕方まで勝負を楽しんだ。まだ陽が明るいうちに勝ちを確定させて私は泊まる宿を探す事にした。糸満へはバスで移動したのだが、要は沖縄には電車が無いのだ。繁華街はあるのだが糸満は漁師町であり、私が訪れた場所は港の近くのパチンコ屋だった。海沿いには高級リゾートホテルがあったのだが、私はいきなり羽田で旅の記念にと高級ホテルに泊まったので、今回は節約する事にした。交番を訪ねてここら辺で素泊まり出来る場所を教えて下さいと訪ねてみた。お巡りさんは親切に地図を書いてくれて徒歩10分ほどの海を眺められる綺麗なホテルを教えてくれた。私は現地まで歩いて行き、また交番へと戻る事にした。『お巡りさん!あれラブホテルじゃんか!ビジネスホテルか民宿を教えて下さいよ。』と言うと、『あのラブホテルが一番泊まりやすいと思うよ。』なんて真顔で言う。『いやいやいやいや。あんあん喘いでる横で一人で泊まれってお巡りさんが言っちゃ駄目じゃん!』なんて、私も冗談混じりに話していると、ようやくビジネスホテルを教えてくれた。なんだちゃんとあるじゃんか。お巡りさんにまで私はからかわれたのか?糸満は、いや沖縄は、旅行者に親切では無いんだなと思ったものだ。ホテルに到着して空き部屋があるか尋ねると、空き部屋が運良くあった。私は即決で泊まる事を決めた。こんな港町でもビジネスホテルはあるもんだなと思ったのだが、繁盛している様なビジネスホテルには見えない。古びた佇まいでどこか潰れそうな雰囲気を漂わせていた。第二期末期のギャルズスタイルにも、そんな寂しさが漂っていたのを今でも覚えている。あの物悲しさは活気を失った場所に漂う独特な雰囲気だ。どこかそこで働いている人々の自信のない雰囲気というのは時代の終わりを告げる雰囲気そのものな気がしてならない。言霊や物にも神が宿るのなら、どこか終わりを告げる予告の様にも感じてしまう独特の活気を失った雰囲気がある。その古びたビジネスホテルはそんな雰囲気を醸し出していた。まだ明るいうちに宿泊を決めたので夕食も付けて下さいとお願いをした。すると近所のお店で夕食は食べて貰う様になりますという。小さな港町なので定食屋やラーメン屋と提携しているのだろうと私は思って『分かりました』と答えると、夕食券と書かれた紙切れを渡されたので、その紙切れを持ってお店へと向かう事にした。ビジネスホテルの近くにあった食堂は食堂では無かった。そこは小さなスナックだった。しかもお客の居ない。スナックの営業中に夕食だけ食べるという普段は味わえないシチュエーションに笑いを堪えながら夕食を済ましたのを覚えている。私の滞在していた30分ほどの間にお客様が来る事は無かった。いくら小さな港町といえど、スナックの開店時間にお客様が来ないのでは、この先もまばらにしかお客は来ないだろうなと思いながらお店を後にした。食事は港町っぽい無難な磯料理が出てきた。美味しくも不味く無かったと思う。至って普通だ。スナックであれだけの料理を注文したら5,000円以上は取られるだろう。スナックとしての料金が崩壊している破格のサービス料金だが、良心的だったとも言える。ビジネスホテルに戻るとロビーも通路も薄暗く電気料金を節約しているかの様な静けさが漂っていた。夜半に通り雨が糸満を通過し、雷が鳴っていたのがさらに不気味さを強調した。肌寒さくなるシチュエーションには物悲しさと恐怖がある。運が良かったのは隣の部屋にレジャーで来た2組と思われるカップルが泊まっていた事もあり、世が明ける頃まで隣りが賑わっていた。その騒々しさが怖さを緩和してくれたのが唯一の救いだった。翌朝は早めのバスで那覇へ戻り、さらにバスを乗り継いで名護へと向かう為に、朝食は食べずに宿を立ち去る事にした。ただそれだけの事だったのだが、一晩中恐怖に慄いていた宿泊になった。何故、交番の駐在さんは、ビジネスホテルでは無くラブホテルを紹介したのか?しかも、『ラブホテルじゃん』と指摘しても、『あそこが一番良いと思うけど』と自分の意見を言ったのだろうか?実はビジネスホテルは幽霊が出るという噂話を知っていたりしたのでは無いか?そしてホテルなのに、レジャー客、しかもカップル2組が同じ部屋に宿泊しているのは不自然なのだ。その人達のチェックインは22時か23時だったと思う。このチェックイン時間はかなり不自然だ。あの賑やかなお客はこの世のものでは無かったのでは?私がその宿泊客を目撃する事が無かったのと翌朝は静けさしか残っていなかったのが、さらに不気味さを増幅させる。あの夜の出来事全てが、私の中ではこの世のモノでは無かったかの様な異質さを、今でも感覚として残している。
②深夜の峠越え
これは私の人生の中で最も怖い経験だ。その夜の事は偶然が偶然を呼んだ恐怖体験で有り、二度経験する様な事では無いだろう。やはりパチスロを打ちながら全国行脚をしていたあの夏の出来事を紹介しよう。西日本縦断の旅に出る間に小旅行がてらに北関東へと旅打ちに出かけた事がある。あれは栃木県で打った帰りの事だ。当時は開店から打つ事の多かった私が閉店直前まで粘っていたのだから、その日は負けていた。負けている日は負け額を少しでも減らすのに、フル攻略で機械割100%を越える機種を閉店までタコ粘りして理論値の底上げをする事を日課としていた。体力的には厳しかったが、理に叶った勝負でもあった。その日は次の勝負地を茨城県か千葉県にしようと県跨ぎの移動を考えていた。どんな道を栃木県から茨城県へと移動するかは初めて打っていた場所なのでナビ任せとなった。ナビは峠越えをナビしていた。ちょっとした深夜のドライブも乙だな。今夜はどこかの道の駅で野宿しようなんて事を私は考えながら車を走らせていた。その途中の事だ。私は事故現場に遭遇した。おそらくそれは死亡事故だったのだろう。何故そう理解出来たかは、事故車両を見た訳でも無く、被害者の姿を見てしまった訳では無かった。私が見たのは野次馬の人だかりと交通整理をする警察官の姿だけだ。赤信号で警察官が止まってと誘導してくれたのだが、止まっていると一人の警察官が気を失いそうになって隣の警察官が倒れる警察官を抱き抱えて支えたのだ。意識を失いそうになった警察官は直ぐに正気に戻ったのだが、死亡事故にでも立ち会っていないと気を失うことなんか無いだろう。しかも警察官は事故なんてものは毎日見るであろう。それでも気を失うぐらいのグロさという事は死亡事故である事くらいは容易に想像が出来た。そんなものをまざまざと見てしまったら脳裏に焼き付いてしまうので、私は事故現場から目を背けながらその場を通過した。それだけの事で終わる筈だったし、終わって欲しかった。しかし、無常にもそうはならなかった。この時点で時間はてっぺん午前0時頃だったと思うのだが、まだ峠越えが残されていた。この峠が片側1車線ほどのかろうじて舗装はされている獣道だった。街灯なんてものは無い。自分の車が照らし出す範囲内の風景しか見えない中で、私は峠越えをする事になった。『これはやばい』そんな気持ちになったのを覚えている。人間はたまにそんな怪奇アンテナを働かす事がある。神奈川県の南足柄で大雄山へ登る山道に差し掛かった時もそうだった。台風一過のタイミングだったが、道に木の枝が散乱していた。街灯も無い。途中にお寺か神社があったのだけは覚えている。あまりの恐怖に、私は山の中腹に差し掛かった時点でUターンする事を決意した。それ以上登ってしまうと見てはいけないものを見てしまいそうな予感がして引き返したのだ。峠越えの話に戻ろう。私は引き返せなかった。引き返すと死亡事故現場へ戻る事になるし、そもそもが街頭の無い獣道でUターンしようものなら、私が崖下へ落下してしまってもおかしくはない。もし対向車でも来た日には完全に詰んでいたであろう。動き様がない。対向車のドライバーと相談して、片方の車が通過出来るまでどちらかが誘導でもしないといけなくなると思われた。しかし、2時間くらい峠を越えるまでに時間を要したのだが1台も対向車が来る事は無かった。これには助かった。地元民は深夜にその道を通ろうなんて考えないのだろう。私はカーナビを呪った。KENWOODのカーナビだったのだが、カーナビが獣道をナビするなと本気で怒りが湧いた。何時間大回りしてでも、ちゃんとした幹線道路をナビしてくれよと思ったものである。峠越えが終わるまで、私はバックミラーを一度も見なかったし、サイドミラーを見る事も横を振り向く事もしなかった。ただただ前方だけを凝視しながら運転していたのを覚えている。あの経験は恐怖以外の何モノでも無かった。怖いシチュエーションが偶然にも複合してしまったのだ。二度と同じ経験をする事も無いだろうが、お化け屋敷や肝試しやホラー映画でこんな怖い気持ちになる事は絶対に無いだろう。峠の麓に辿り着いた時はコンビニで明るくなるまで眠りこけてしまった。疲れていたのもあるが、世が明けるのを待つ事で恐怖をやり過ごしたかった。人生で最恐の恐怖体験がこの深夜の峠越えだったであろう。