2026-08-10 12:31文字は破壊力と治癒力併せ持つ(創戯旅団 第353夜)





2026-08-27 00:11掲載
2026-08-26 06:10掲載
2026-08-25 16:10掲載
2026-08-24 14:58掲載
2026-08-23 22:52掲載
2026-08-22 14:25掲載
2026-08-21 09:31掲載
2026-08-20 17:52掲載
2026-08-19 03:40掲載
2026-08-18 02:16掲載
2026-08-17 09:44掲載
2026-08-16 02:46掲載
2026-08-15 21:27掲載
2026-08-14 03:34掲載
2026-08-13 04:51掲載
2026-08-12 02:04掲載
2026-08-11 02:04掲載
2026-08-10 12:31掲載
2026-08-09 04:14掲載
2026-08-08 05:55掲載
2026-08-07 00:52掲載
2026-08-06 01:15掲載
2026-08-05 22:50掲載
2026-08-04 19:14掲載
2026-08-03 12:39掲載
2026-08-02 11:20掲載
2026-08-01 03:04掲載
2026-07-31 10:12掲載
2026-07-30 08:55掲載
2026-07-29 18:55掲載
2026-07-28 11:41掲載
2026-07-27 11:27掲載
2026-07-26 18:26掲載
2026-07-25 19:53掲載
2026-07-24 23:06掲載
2026-07-23 22:35掲載
2026-07-22 22:01掲載
2026-07-21 15:10掲載
2026-07-20 22:34掲載
2026-07-19 23:20掲載
2026-07-18 19:04掲載
2026-07-17 08:52掲載
2026-07-16 14:03掲載
2026-07-15 14:05掲載
2026-07-14 13:03掲載
2026-07-13 12:32掲載
2026-07-12 12:50掲載
2026-07-11 10:31掲載
2026-07-10 09:32掲載
2026-07-09 05:57掲載
SM奇譚 創戯旅団 第353夜 文字は核兵器に勝る破壊力を持ちながら全世界を平和に戻す治癒力も持つ
※2026年08月11日12時22分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年08月11日12時22分【note無料投稿】
極論かもしれないが、こんな例を出してみたい。私が住んでいたのは昭和中期に建てられた小さな町の小さな古ぼけた商店街ビルだった。1階が小さな商店の寄せ集めで2階と3階が商店街の人の居住区になっている小さなビルだ。この30年の中で徐々に商売を閉じる人達が増えてシャッター商店街へと成り果てた。6つ以上あった商店街ビルは残すところ3つのみ。しかも立て替えてマンションにする構想は大分前から出ている。私も店舗型の夜の仕事を営んでいたが、2年前に閉店した。先行きが不透明どころか、お先真っ暗だったからだ。百歩譲って私の事などはどうでも良い。しかし、クリーニング屋、文房具屋、お米屋、ハンコ屋、本屋を行政が守れなかったのは問題では無いのか?全てが、中国製の安物を売るような大手量販店の商業ビルに商圏を取られてしまう国の立て付けをまともな行政と呼べるのか?小さな商店街で身を粉にして働いていたご老人の未来を壊すのが行政の仕事なのだろうか?私は、それは間違っていると本心から思う。全てが平等である事が不可能な事くらいは、私にだって理解出来る。しかし、必要以上に新時代にアジャスト出来ていない商売人を痛めつけるのは間違いではなかろうか?『We are the world』はアフリカの子供たちを救う為の募金活動であったと記憶している。今の日本には、アフリカの子供とまではいかないまでも劣悪な家庭環境で暮らす子供たちが沢山いる事を知っておくべきである。今の日本は、海外のダウンタウンやスラム街が平然と混在している貧しい国になってしまったと自覚すべきである。政治家も経済界の人間もポジショントークに終始している病んだ現代社会を是正するのは、果たして本当に民意なのだろうか?私は文字による問題定義が非常に重要だと考えている。
文字コンテンツとは様々な顔を持っている。大手出版社が発刊する雑誌や小説などの書籍は多くの人間に読まれる事となる。その露出力はプロモーション媒体としてマネタイズされる。時代の変貌だろうか?小説や論説、コラムがメディアのメインストリームを飾る時代では無い。しかし、SNSの144文字程度のコミュニティーで言いたい事を全て伝えるのは不可能である。最近はSNSとブログの合いの子のようなコンテンツが、少しずつ認知度を上げている事を軽んじてはならない。長文の方が、人の言いたい事が正確に伝わるのは言わずもがなである。私はその風潮を歓迎したい。1周回って原点回帰しているように思えてならない。私のような長文コラムマニアには喜ばしい風潮でもある。今回のコラムの内容は、いずれはMediumとSubstackを介して全世界に発信する予定なのだが、日本語の良いところは感情表現力が豊かなところだ。言葉の先にどんな言いたい事が見え隠れしているかを想像しみながら楽しめる言語だ。英語はどうだろう?もっとストレートな言語だ。日本語の方が形容詞を複雑に出来たのには理由があると考えている。英語の方が、文字数が多くなってしまうので、形容詞をふんだんに文章に織り交ぜる機会が少なくなるのだ。すると自然と物事を伝えるときにはストレートな物言いをしないと伝わらない。これは言葉を話す時にも同じ原理が働く。日本文化が海外とはかなり異質な文化に育ったのも頷ける。日本語は情緒豊かな言語と誇れる一面だ。同時に、論点ずらしが簡単な欠点も併せ持っている。言葉で誤魔化しが効く言語とも言い換えられるだろう。著名人が巧妙に犯罪を犯しているのがバレる事が多い国だ。しかし、隣国の様に大統領が高確率で逮捕される国では無い。国民の協調性に対する意識が高いのでチェーンブロックの様な監視が行き届いているとも思える。日本語を使いこなす事は、世界でも特殊な表現能力を持てていると認識するととても面白いのだ。他の国の文学作品とは違う趣で豊富に思想や発想を自由に織り交ぜる事の出来る文章を書けるのは嬉しい事だ。じつはここまでが長い前談。私の文章は必ず性癖の話へと後半は傾きます。大体、5000文字目安で文章は綴っているので、MediumとSubstackに転載する事があるならば三分割して公表する事になるだろう。
海外の人に日本のSM文化を説明するには比較対象として西洋BDSMのイデオロギーと日本の古典SMを比較させると分かりやすい。私の仕事であるSMクラブは日本の法律で管理されている。日本の風俗営業法(風営法)は世界から見ると特殊な法律だと思われる。私の仕事は派遣型SMクラブなので、派遣型風俗店という管理対象に属する店舗になる。この派遣型風俗店では本番行為(セックスの事)が固く禁止されている。風俗営業法の存在が日本独自の風俗文化を作り上げているのは間違いないであろう。海外のセックスワーカーとは大きく趣が違うのだ。ところが今の風俗業界は、7割が法律に違反しているのではなかろうかと推測される。本番が出来ると射幸心を煽る事で、商売を成立させているお店が多い事はあまり喜ばしい風潮では無い。本来ならば違法行為だ。脱法はグレーゾーンでは無い。明確な犯罪だ。そこに大いなる矛盾を感じる。欧州BDSMと日本古典SMと米国ラバー文化と風営法を融合した中で、さらに風営法に違反しながらSMを楽しんでいる図式が成立している。私は、コンプライアンスを遵守した中でSM行為を愉しむ難解な構造設計に取り組んでいるので、壮絶な苦労を背負いながら仕事に取り組んでいる。海外のSMファンがこの文章を目にするのは今回が初めてになるだろうが、既に352話を越えるSM文化考察コラムを公表している。根本的な問題が解決に至らぬままに戦いを続けている様が、このシリーズには克明に記されている。その苦労を全世界のSMファンとも共有したいのだ。欧州BDSMと米国ラバー文化と日本古典SMと日本の風俗営業法を融合すると、単純にマゾヒスト、サディストの定義や関係性以上の複雑なSM的な意識が構築されている。そんな複雑になったSM文化を言語化するのが、このコラムのイデオロギーだと感じている。単純なSMプレイでありながらも、SMクラブでは風俗という仕事を教育する新分野を構築しないと、SMクラブ業界を健全な方向へ導けないジレンマを克明に記している。日本のSM文化を研究したい全世界のSMファンに読んで貰いたいと思っている。日本的な趣を持ったSM遊戯もまた、かけがいのない愛されるべきSM遊戯の一つとして形成されつつある事を、全世界の人々に認識して欲しい。
SMだけではないだろう。グローバル経済の中で労働力として大量の移民を受け入れる国となった現代日本の中で風営法の位置付けが難しくなったのは否めない。世界から日本に来た人に取ってセックスワーカーとは違う日本の風俗従事者を理解する事は不可能だ。日本の風俗者人を馬鹿にしてセックスを強要する外人の姿が目に浮かぶ。外人だけの責任にするつもりはない。日本人でさえ法律を守れていない人間が7割だからだ。だからと言ってセックスが風営法の中で肯定される事は、今後も未来永劫無いであろう。日本の風営法が世論に忖度している以上は、セックスを肯定してしまうと、選挙でご婦人の票を獲得出来ないからだ。故に日本の風営法でセックスが解禁される事は未来永劫無いと断言出来る。しかし、例外がたった一つだけ存在する。日本国がアメリカの州として統合されてしまった場合のみは常識が覆る。アメリカの法律ではセックスワーカーを犯罪者として取り締まり事は出来ないだろう。このケースだけが唯一の例外となるが、流石にそれは絵空事だ。有識者の中には、大麻解禁を夢見ている人間もいるようだが、それも絶対にありえない。日本独自の射幸心抑制文化を侮ってはならない。もしコカコーラやコーヒーが日本で開発されていたら禁止されても文句は言えない社会だ。現に紙タバコは少しずつ数を減らしていってる事を軽く考えない方が良い。コカコーラは麻薬と紙一重だ。アメリカでは昔、モルヒネと同じ使い方をされていた成分が含まれている。コーヒーも麻薬もケシの花由来だと記憶しているが間違っているだろうか?私の認識違いの可能性はあるが、中毒を引き起こす作用とはこれ何ぞや?と疑問に思っている。中毒も射幸心も抑えが効かないという点に於いては同質だと考えておきたい。
今回は全世界の人々へ向けた自己紹介を語った。この先は毎回では無いが、定期的に全世界版の『SM奇譚 創戯旅団』を執筆しようと思う。noteが英語圏に公開される様になるのは2026年中だと言われている。noteのグローバル化を想定した上で、全世界向けの分かりやすい『SM奇譚 創戯旅団』の執筆も、note、Medium、Substackを通して行っていく。大分前から漠然と計画していた。サッヘル=マゾッホ考察なんて企画は世界発信が視野になければ考えない事だ。『SM奇譚 創戯旅団』が世界発信へ向かうのは喜ばしい事だ。CtoCの時代だから出来る事だと心から感謝している。私は極度の負けず嫌いだ。自分が置かれている厳しい状況に関しては、泣き言を言う事は今後もない。いずれこんな苦しい状況の中で文章を書いていたとカミングアウトする日は来るだろうが、『マジかよ!』と驚愕する事だろう。『それでも心を折らずに文章を書き続けていたのか!』と驚きの感想を持つと思われる。生成AIの進化には本当に感謝と敬意を評する。こんな私でも、全世界に文章を発表出来る世の中になったのだ。そのチャンスを活かす行動は起こすべきだと考えている。文字は核兵器に勝る破壊力を持っている。そして、文字は全世界がシェイクハンドする平和治癒力も持っている。たかだか日本の小さなSMクラブが発信するコラムが世界平和を訴え始めたのは基地外がする所業だ。しかし、確実に意味はある。世界の読者に感じて欲しい意義もある。日本からサドやマゾッホの意思と意義を継ぐものが登場しても不思議ではないではないか。これからも、この時代らしいSM論を記していくとしよう。