2026-07-05 12:55人はサディストでもありマゾヒストでもある(第325夜)





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SM奇譚 創戯旅団 第325夜 人はサディストでもありマゾヒストでもある
※2026年07月05日12時22分【Livedoor、Ameba、FC2初稿】
※2026年07月05日12時22分【NOTE無料投稿】
■第一章:性格と性癖の一致不一致
性格と性癖。特に異性との性格と性癖の一致不一致は複雑だと思いませんか?性格が合っても性癖が合わなければ歪みが生まれます。逆もまた然りで、性癖が合っても性格が合わなければパートナーとして長くタッグを組む事は難しくなります。まるで禅問答ですが、実際に、恋人も夫婦も、分かっていても上手く行かない事の方が多くないですか?表面上は上手くいっていても、裏ではどろっどろなんてざらな話です。私が身を置いている風俗界隈は、その歪みを和らげる必要悪や緩衝材とも捉えられています。風営法で射幸心が一定の量を超えない様に管理されている事が、それを証明しています。一瞬であれば上手く噛み合う事は多々あります。しかし長期間、同じ人間とタッグを組み続ける事のなんと難しい事か。私生活でさえ上手く行かないのですから、一期一会の商売の世界では長期的な関係を築くのは至難の技ですよね。ましてや風俗の世界では、性格と性壁の相性を同時に問われるのです。そして、私が働いているSMクラブに至ってはその極み版です。極端にサディスト、極端にマゾヒストが集まってくる世界です。そんな商売でパートナー(本指名、オキニ)が簡単に見つかると思いますか?私の肌感では、難しいと捉えています。これが、本当に想像以上に難しいから、私のnoteに興味がある人が多いのだと、私は分析しています。この文章で初めて、『SM奇譚 創戯旅団』の世界観に触れる方も多いと思うので、性格と性壁の不一致に関する考察の経緯も少し説明しておきましょう。
私がSMクラブの公式ブログでコラムを書き始めたのは1年10ヶ月前です。既に本編だけでも324話、外伝59話。合計383話を執筆しているのですが、それでも性の話題だけは、今でもネタが尽きる事はありません。構想では1,001夜物語として執筆しているのですが、今の状態だと1,001夜物語を3SETくらい書けてしまうのではなかろうかと思うほど、無駄に注目度まで上がってます。何故、注目されるのでしょうか?皆さんがパートナーと上手くいっているのであれば、こんな考察コラムは全く見向きもされないでしょう。ところが直近2ヶ月のインプレッションだけでも、今までより10倍のインプレッションに膨れ上がっているんです。要は、それだけ皆さんも苦しんでいる問題であるから、周囲の人間の考えている事が知りたいとも言えますよね。結論など無いままに、300年後も語られ続けている問題である事くらいは私にも想像出来ます。アダムとイブにそんな苦悩があったかは知る由もありませんが、太古の昔から人間関係の本質は変わっていないであろう事が証明されていると思います。今でもマゾッホやサドの書物が時代を超えて愛されている事実が、全てを物語っています。
■第二章:SとM、MとS、SとS、MとM
じゃあ、どんな関係性が理想なの?これが皆さんの知りたいところですよね。今回はいつもとは違いSMクラブベースの話は封印して語りましょう。純粋に私生活でSMをした場合で考えますよ。ただし、例え私生活だからといって、必ずしも関係性が濃いとは言えませんよね。行きずりのセックスでSMを楽しむ場合もあります。愛人というよりはパパ活や援助交際の類でSMをやる場合もあるでしょう。SM系のマッチングアプリや出会いサークルもありましたね。ここら辺は風俗ではありませんが類似品なので、今回の考察からは除外しましょう。大概の場合は私生活でSMをやる場合はS側とM側に大枠で別れてマッチングしていますが、中にはSとSの組み合わせもあれば、MとMの組み合わせもあります。両方が部分的にSとMを使い分ける器用さがあるケースもあります。何故、それでもSMプレイが成立するのか?よくこんな話を女王様から聞く事があります。『私、好きな人の前ではMだよ』と語ってる人が居ます。多分、それはパートナーの事を大好きなので思いやりを持って接していたり、嫌われたくなくてそう演じていたりするので、純粋にMになれているのとも、少し違う筈です。ただ猫を被っているのとも違うと思いますが、本当の自分を晒せていないだけの可能性は多分にあります。SM願望があっても、好きな人とはSMプレイをやらない人までいるじゃないですか。こっそりSMクラブに遊びに来て、自分の性癖を満たしてる人は多くいます。私生活でSMをやっている人も沢山居ますが、無理しているケースの方が多いと思うので、完全に噛み合っているのとは違います。SMプレイはそうやって一方通行気味になる性行為なんですよ。完璧にハマる事の方が極めて稀です。なので、相性が合わないと思い込むのは早急です。上手く行ってる時も合わせてくれてるだけなんだろうなと謙虚に考えなければ思い違いをする事になります。常に感謝の気持ちを伝えながら、お互いが気遣い関係性を持続させなければ、どこかのタイミングでいずれ噛み合わなくなってしまいます。SMプレイは私生活でも、一元的な支配と服従ではありません。複雑な気持ちが交錯する事によって支え合っているのが本当のSMの姿です。だから、簡単にやれて貰っても実は困るんですよ。緩い人間関係で出来るほど甘い性遊戯では無いんです。思い出して下さい。サッヘル=マゾッホは奥様にSMを強いたが故に結婚生活は破綻しました。サド侯爵は、自分の性欲を満たした事により若くして捕まりました。サド公爵の名作『ソドムの百二十日、または淫蕩学校』は、バスティーユ牢獄収監中に書かれた作品なので、自分の内面を反映していますが、残虐な思想で実生活を過ごしていたのとは違います。作品が書かれた時には、既に生活は壊れていたので、その思想を満たされていたのではありません。危険思想を持っている人間として牢獄に幽閉されているのですから、既に満たされる事のない性的願望が作品に怒りとして宿っているだけです。しかもフランス革命があったからマル・キ・ド・サドは監獄から開放されているので、時代背景も支配と服従が崩壊した瞬間にフランスに生きている人間だったのです。支配と服従の理想を作品にしたためた人間が、支配と服従の崩壊で許された瞬間を、どう捉えて読み解くかは、読み手の道徳感や倫理観が交錯するので、本当のマル・キ・ド・サドを知るのとは大きく違います。そんなに思っている事が簡単に具現化出来るほど、世の中は甘く無いですからね。SMは時間をかけて、同一のパートナーと深みにハマらないと見る事の出来ない絶景だと考えられます。自分を理解して共に歩んでくれる人間の存在が、どれだけ人生に取って宝物か考えた時に、そこに至る人間関係は支配と服従では測れないモノになっていますよね。時代背景もあります。現代社会では、システマチックになった成熟した社会なので支配と服従を私生活で満たす事の方が難しい時代です。SM志向は『時代錯誤』かも知れませんし、危険思想なのかも知れません。現代のSMは形を変え『SMごっこ』として安全性が担保されているではないですか。今、非常に重要なポイントに差し掛かってますので、自分の中できっちり解釈して下さいね。『SMごっこ』は、果たして『支配と服従ごっこ』なのでしょうか?本当は何を求めているのでしょうか。抑圧の様に見えますが、抑圧からの解放が本質ではありませんか?SMの世界は大いなる矛盾で成り立っている世界なんですよ。両極論や一元論で語って良い行為ではありません。しかも、定義が存在していないと考えて下さい。実はそこに魅力が隠されているとも言えます。人によって見える風景が全く違う物事に社会通念は通用しません。だから、危険思想までも時代を超えて共感されてしまったんだと思われます。禁書指定されていた書物を掘り起こして来た後世の人間もまた、相当な変わり者ばかりですよね。『それでも考える事は、考えない事より、遥かにまともな人間の行いです。』考える先にしか見えない究極の境地を覗き見ようとする悪癖が、SMにハマる人の心の奥底には必ずあるでしょうね。
■第三章:私たちが追い求めているのは、SMと言えど『支配と服従』では無かった
不思議な世界ですよね。人の理想とはSMに至るより遥か手前にあると思いませんか?だから、最初からカオスになってあたり前な事を私たちは追い求めようとして、底無し沼に嵌まり込んでしまってますよね。人間の考える力には、実は限界があります。欲望を満たそうとして必ず破滅へと向かいます。私達人間は2,000年以上も戦いを止める事も出来ずに、今もあたり前に過ちを犯し続けます。『最愛のパートナーと楽園を築く行い』が果たして『支配と服従』ですか?そこから考え直して見ると、SMの世界で見えてくる景色は、確実に変わってくるでしょう。SMとSMクラブは似ていても大きく意味合いも行為の質も違います。風営法の存在があるかないかで、この世界は大きく見える景色が変わって来ます。SMクラブの世界に生きている私だから語れる事なんだろうなと思います。それほどまでに、地獄を見て来たからこそ語れる事でもあると思います。サドもマゾッホも危険思想を持ってしまったが故に、不幸にも幸せには成れませんでした。しかし、彼らは極悪人だった訳ではありません。『考えてはいけないであろう事を書物にしてしまった人』なだけです。私達もまた、考えてはいけない事を考えて、追求しているのかも知れませんね。パンドラの匣の中にある真実を語るには、人一人の人生では足らない事を、私は立証してしまうだけなのではなかろうかと危惧している事を、この書にしたためながら、今夜はペンを置く事にします。 #創作大賞2026 #エッセイ部門