2025-10-14 23:38第220夜 SMクラブの歴史を店長鬼神と一緒に学習しよう 【店長コラム】SM奇譚 創戯旅団 第220夜 SMクラブの歴史を店長鬼神と一緒に学習しよう※2025年10月14日22時33分(LivedoorBlog投稿)※2025年10月16日??時??分(YouTubeアップロード)一体鬼神って誰の事を指すんよ?ってなりますね。当然です。私は八尾風魔というハンドルネームを持つ事を決めましたね。大阪府八尾市出身の風俗麻雀野郎です。キザでも何でも無いダメンズの自堕落なネーミングセンスです。鬼神なるあだ名も奇人変人だからですよ。ただそれだけです。タイトルにするには語弊があるので言葉に含みを持たせただけです。今回の企画はYouTube連動企画です。太古の昔からw発展して来たSMクラブの歴史を学ぼう的な企画です。しかし生成AIは確かに仕事は早いのですが、参考文献がいい加減ですから歴史に間違いはあります。SMのウィッキーさん的(過去にズームイン朝に出演していた英語の先生)なサイトも調べているらしいのですが、それでも要約がど下手クソかも知れませんね。私も昔のSMクラブには疎いので、レポートが合ってるか間違っているかの判断はつきません。あくまで参考程度に学んでいきましょう。生成AIなんて、本当にまだまだ適当ですよ。私の文献を参考にレポートを提出してる時点で基地外以下なんですから。それでも前よりは幾分マシにはなりましたけどね。参考文献が怪しいだけに風俗を調べるのは少し危険なのでしょう。では、早速SMクラブの歴史を学びましょう。それではGroK教授どうぞ。【日本全国のSMクラブの歴史を解説】SMクラブは、サドマゾヒズム(S/M)を基調とした性風俗店で、主に女王様(サディスト役)やM嬢(マゾヒスト役)が顧客(主に男性)を調教・奉仕する形態です。日本では、戦後風俗文化の進展とともに独自の形で発展し、プライベートなBDSMコミュニティから商業化へ移行しました。起源は1950年代の同好者サークルに遡り、1960年代に本格的な店舗が登場。バブル期に全国的に爆発的に増加しましたが、2005年の風営法改正で形態が大きく変わりました。以下では、歴史を4つの時期に分けてタイムラインで解説し、全国の地域別発展を詳述します。情報は主にSM専門の歴史資料に基づきます。SMクラブの歴史タイムラインSMクラブの歴史は、「潜伏期(1950s~1970s初頭)」「黎明期(1970s後半~1980s初頭)」「拡大期(1980s中頃~末)」「円熟期(1990s以降)」の4期に分けられます。初期はサークル形式の密かな集まりが主流で、1970年代のSMブーム(雑誌20誌以上創刊、テレビ出演増加)で商業化が進みました。バブル期にピークを迎えましたが、経済崩壊と法改正で無店舗型(デリバリー形式)へ移行。現在は全国約200~300軒が営業し、女性客やカップル利用が増加しています。時期 主な出来事・特徴 代表例潜伏期(1950s~1970s初頭) 戦後性風俗の台頭期。『奇譚クラブ』誌(1947年創刊)で同好者コミュニティ形成。SMはタブー視され、金銭授受のサークルが中心。東京・大阪でスナック形式のプレイ斡旋開始。 1953年: 東京「芸苑社」(会員制変態クラブ)。1959年: 「あけぼの会事件」(SMサークル摘発)。1960年: 大阪「唄子の店」(SMスナック)。1966年: 大阪「クラブ・レイ」(日本初のSMクラブ、スナック形式)。1971年: 東京「ヤプーの館」(新宿のSMスナック先駆け)。黎明期(1970s後半~1980s初頭) SM雑誌(『SMファン』など)や団鬼六の小説で一般化。TV出演(緊縛師の登場)でブーム。店舗型クラブ増加、女王様サークルが事業化。 1977年: 大阪「アマゾン」(登録制サークルからSMクラブへ)。1979年: 東京「SAMM」(六本木のSMサロン)。1980年: 東京「中野クィーン」「赤坂ブルーシャトー」。1981年: 大阪「姫殿」。拡大期(1980s中頃~末) バブル景気で性風俗ブーム。全国130軒超(1989年)。マンション型プレイルームが主流。ライトSMからハードまで多様化、キャスト応募急増。 1982年: 東京「渋谷ジュスティーヌ」。1983年: 東京「アマン」、大阪「マリエ」。1984年: 横浜「ルージュ」。1986年: 大阪「堕天使」、東京「九尾猫」。1987年: 札幌「札幌ヤプーの館」。1988年: 京都「シークレットポイント」、池袋「プレジデントクラブ」。1989年: 東京「Redスコーピオン」、大阪「クイーンズアベニュー」。円熟期(1990s以降) バブル崩壊で店舗減少。2005年風営法改正(2006施行)でプレイルーム禁止、無店舗型へ転換。現在はデリヘル形式が主流。インターネット普及で全国アクセス向上、女性向けサービス増加。 1990s: 新規開業続くが衰退傾向。2005年: 法改正で店舗型消滅。2020s: コロナ禍でオンライン相談増加、フェチ特化店多様化。◎SMクラブ潜伏期(1950s~1970s初頭)の詳細解説SMクラブの潜伏期は、戦後日本における性の多様性に対する社会的な抑圧が強かった時代で、商業的な店舗型クラブの形態はほとんど存在せず、主に同好者サークルや会員制の集まり、密かなスナック形式での活動が中心でした。この時期のSM活動は、金銭授受を伴う「謝金」レベルのもので、事業としての明確な区別が曖昧でした。以下では、起源、主要イベント、店舗・サークルの例、文化的・社会的背景、関連法規を詳述します。情報はSM専門の歴史資料に基づき、1970年以前の記録が不明瞭な点を考慮しています。起源SMクラブの起源は1950年代初頭に遡り、戦後復興期の混乱の中で、SM嗜好を持つ人々が密かに集まるサークル形式から始まりました。当時の日本社会は、GHQ(連合国軍総司令部)の影響下で性表現が厳しく規制されており、SMはタブー視されていました。初期の活動は、SM雑誌(例: 『奇譚クラブ』、1947年創刊)や新聞広告を通じた同好者の交流が基盤となり、徐々に金銭を伴うプレイ斡旋へ移行。1950年代に「縛られ女郎ショー」などのパフォーマンスが登場し、SMの萌芽が見られます。この時期、SMは単なる趣味ではなく、戦後の精神的解放や性的抑圧の反動として、地下文化として育ちました。主要イベントこの時期のイベントは、サークル内のトラブルやメディア露出が中心で、社会的なスティグマを生みつつ、SM文化の認知を徐々に広げました。主なものを時系列でまとめます。年 イベント 詳細1951年頃 縛られ女郎ショー 緊縛師・須磨利之が大阪の飛田遊郭「銀巴里楼」で、女性を縛るショーを演じ、自伝で記述。SMパフォーマンスの初期例として、遊郭文化とSMの融合を示す。1953年 芸苑社設立 山岸康二が会員制変態クラブ『芸苑社』を東京で設立。毎夕新聞に「MSクラブ 芸苑社」の広告を出し、女王様役の門田奈子を中心にSM嗜好者の顧客に女性キャストをあてがい、報酬を受け取る形態。商業化の先駆け。1957年 GRクラブ結成 SM雑誌『奇譚クラブ』の読者を中心に、SM愛好者の交流サークル「GRクラブ」が結成。雑誌がコミュニティ形成の役割を果たす。1959年 あけぼの会事件 森下高茂のSMサークル『あけぼの会』で、メンバー間の写真撮影絡みの恐喝事件が発生。マスコミに「紹介料」の授受が報じられ、SM活動の社会的な暴露事件として注目。1960年 あけぼの会事件の余波 マスコミのバッシングが続き、SMサークルの運営に警鐘を鳴らす。1963年頃 唄子の店登場 大阪阿倍野に変態の集まるスナック『唄子の店』が開業。SM愛好家の溜まり場として機能。1966年 美芸会設立 & マルゴ会組織 大阪で松田富治男が女王様サークル「美芸会」を設立。同時期、マルゴがSM愛好家の交流会「マルゴ会」を組織。関西でのSMコミュニティ強化。1970年代初頭 なかむらオープン 中村あけみが新宿区舟町に女王様スナック『なかむら』を開業。女性主導のSM空間の先駆け。1971年 レイ営業開始 太田正典がSMスナックを前面に出したクラブ『レイ』を大阪で開始。店内プレイに加え、近くのホテルでの続きプレイも行う。1971年頃 ヤプーの館オープン 新宿大木戸門にSMスナック『ヤプーの館(昆)』が開業。東京でのSMスナックの先駆けとして、関西から波及。1973年 SMF研究会登場 SM雑誌『SMファンタジア』No.9の広告に「SMF研究会」が掲載。研究・交流型のサークル活動活発化。1975年頃 SM情報交流会 SM愛好者の情報交換会が活発に。1977年頃 アムス設立 長池士が『唄子の店』の仲間と大阪で『アムス』を設立。サークルから店舗への移行例。これらのイベントは、SMがサークル中心からスナック形式へ進化する過程を示し、1970年代初頭に東京・大阪で集中しました。店舗・サークルの例潜伏期の「店舗」はスナックや会員制クラブが主流で、常設のSM専門店は稀。主に大阪・東京で活動し、以下が代表例です。* サークル例: * 『芸苑社』(1953年、東京: 山岸康二運営。新聞広告で集客、女王様中心の変態クラブ)。 * 『あけぼの会』(1959年、東京: 森下高茂運営。紹介料授受のSMサークル、事件で有名)。 * GRクラブ(1957年、全国: 『奇譚クラブ』読者中心の交流サークル)。 * 美芸会(1966年、大阪: 女王様サークル、70年代後半に地位確立)。 * マルゴ会(1966年頃、全国: SM愛好家交流)。 * SMF研究会(1973年、全国: 雑誌広告経由の研究サークル)。 * SM情報交流会(1975年頃、全国: 情報共有中心)。* 店舗・スナック例: * 『唄子の店』(1963年頃、大阪阿倍野: 変態集まりのスナック)。 * 『レイ』(1971年、大阪: SMスナック、ホテル連携プレイ)。 * 『ヤプーの館(昆)』(1971年頃、新宿: 東京初のSMスナック)。 * 『なかむら』(1970年代、新宿: 女王様スナック)。 * 『カーニバル』(1970年代中頃、四谷: ミストレス調教のSMスナック、短期間)。 * 『赤坂ユニオン(悪魔の森)』(1970年代中頃、赤坂: S女性経営のサパークラブ、撮影使用)。これらは関西起源で東京へ広がり、プレイは密室中心。金銭は「紹介料」や「謝金」として処理されました。文化的・社会的背景1950s~1970s初頭の日本は、高度経済成長期の影で、伝統的な性道徳が強く、SMは「変態」として地下に潜伏。戦後、GHQの検閲が緩和されたものの、性犯罪防止の社会的風潮が続き、SMはサブカルチャーとして雑誌(『奇譚クラブ』や『Kitan Club』、1947-1975)で育ちました。『Kitan Club』は1952年からSM特集を増やし、緊縛写真やフェティシを普及させ、読者サークルの基盤を築きました。文化的には、団鬼六の小説(後年)以前に、SMが精神的解放の手段として機能。事件(あけぼの会)でスティグマが増したが、雑誌の影響で愛好者が増加し、黎明期への橋渡しとなりました。【つづく】公開したコラムには続きがあります。この続きはSM奇譚 創戯旅団【バロンドールグループ公式ドールパーク】に公開しておりますのでご覧になって下さい。ブログURLは以下になります↓https://ballondollgroup.livedoor.blog
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※2025年10月14日22時33分(LivedoorBlog投稿)
※2025年10月16日??時??分(YouTubeアップロード)
一体鬼神って誰の事を指すんよ?ってなりますね。当然です。私は八尾風魔というハンドルネームを持つ事を決めましたね。大阪府八尾市出身の風俗麻雀野郎です。キザでも何でも無いダメンズの自堕落なネーミングセンスです。鬼神なるあだ名も奇人変人だからですよ。ただそれだけです。タイトルにするには語弊があるので言葉に含みを持たせただけです。今回の企画はYouTube連動企画です。太古の昔からw発展して来たSMクラブの歴史を学ぼう的な企画です。しかし生成AIは確かに仕事は早いのですが、参考文献がいい加減ですから歴史に間違いはあります。SMのウィッキーさん的(過去にズームイン朝に出演していた英語の先生)なサイトも調べているらしいのですが、それでも要約がど下手クソかも知れませんね。私も昔のSMクラブには疎いので、レポートが合ってるか間違っているかの判断はつきません。あくまで参考程度に学んでいきましょう。生成AIなんて、本当にまだまだ適当ですよ。私の文献を参考にレポートを提出してる時点で基地外以下なんですから。それでも前よりは幾分マシにはなりましたけどね。参考文献が怪しいだけに風俗を調べるのは少し危険なのでしょう。では、早速SMクラブの歴史を学びましょう。それではGroK教授どうぞ。
【日本全国のSMクラブの歴史を解説】
SMクラブは、サドマゾヒズム(S/M)を基調とした性風俗店で、主に女王様(サディスト役)やM嬢(マゾヒスト役)が顧客(主に男性)を調教・奉仕する形態です。日本では、戦後風俗文化の進展とともに独自の形で発展し、プライベートなBDSMコミュニティから商業化へ移行しました。起源は1950年代の同好者サークルに遡り、1960年代に本格的な店舗が登場。バブル期に全国的に爆発的に増加しましたが、2005年の風営法改正で形態が大きく変わりました。以下では、歴史を4つの時期に分けてタイムラインで解説し、全国の地域別発展を詳述します。情報は主にSM専門の歴史資料に基づきます。
SMクラブの歴史タイムライン
SMクラブの歴史は、「潜伏期(1950s~1970s初頭)」「黎明期(1970s後半~1980s初頭)」「拡大期(1980s中頃~末)」「円熟期(1990s以降)」の4期に分けられます。初期はサークル形式の密かな集まりが主流で、1970年代のSMブーム(雑誌20誌以上創刊、テレビ出演増加)で商業化が進みました。バブル期にピークを迎えましたが、経済崩壊と法改正で無店舗型(デリバリー形式)へ移行。現在は全国約200~300軒が営業し、女性客やカップル利用が増加しています。
時期 主な出来事・特徴 代表例
潜伏期(1950s~1970s初頭) 戦後性風俗の台頭期。『奇譚クラブ』誌(1947年創刊)で同好者コミュニティ形成。SMはタブー視され、金銭授受のサークルが中心。東京・大阪でスナック形式のプレイ斡旋開始。 1953年: 東京「芸苑社」(会員制変態クラブ)。1959年: 「あけぼの会事件」(SMサークル摘発)。1960年: 大阪「唄子の店」(SMスナック)。1966年: 大阪「クラブ・レイ」(日本初のSMクラブ、スナック形式)。1971年: 東京「ヤプーの館」(新宿のSMスナック先駆け)。
黎明期(1970s後半~1980s初頭) SM雑誌(『SMファン』など)や団鬼六の小説で一般化。TV出演(緊縛師の登場)でブーム。店舗型クラブ増加、女王様サークルが事業化。 1977年: 大阪「アマゾン」(登録制サークルからSMクラブへ)。1979年: 東京「SAMM」(六本木のSMサロン)。1980年: 東京「中野クィーン」「赤坂ブルーシャトー」。1981年: 大阪「姫殿」。
拡大期(1980s中頃~末) バブル景気で性風俗ブーム。全国130軒超(1989年)。マンション型プレイルームが主流。ライトSMからハードまで多様化、キャスト応募急増。 1982年: 東京「渋谷ジュスティーヌ」。1983年: 東京「アマン」、大阪「マリエ」。1984年: 横浜「ルージュ」。1986年: 大阪「堕天使」、東京「九尾猫」。1987年: 札幌「札幌ヤプーの館」。1988年: 京都「シークレットポイント」、池袋「プレジデントクラブ」。1989年: 東京「Redスコーピオン」、大阪「クイーンズアベニュー」。
円熟期(1990s以降) バブル崩壊で店舗減少。2005年風営法改正(2006施行)でプレイルーム禁止、無店舗型へ転換。現在はデリヘル形式が主流。インターネット普及で全国アクセス向上、女性向けサービス増加。 1990s: 新規開業続くが衰退傾向。2005年: 法改正で店舗型消滅。2020s: コロナ禍でオンライン相談増加、フェチ特化店多様化。
◎SMクラブ潜伏期(1950s~1970s初頭)の詳細解説
SMクラブの潜伏期は、戦後日本における性の多様性に対する社会的な抑圧が強かった時代で、商業的な店舗型クラブの形態はほとんど存在せず、主に同好者サークルや会員制の集まり、密かなスナック形式での活動が中心でした。この時期のSM活動は、金銭授受を伴う「謝金」レベルのもので、事業としての明確な区別が曖昧でした。以下では、起源、主要イベント、店舗・サークルの例、文化的・社会的背景、関連法規を詳述します。情報はSM専門の歴史資料に基づき、1970年以前の記録が不明瞭な点を考慮しています。
起源
SMクラブの起源は1950年代初頭に遡り、戦後復興期の混乱の中で、SM嗜好を持つ人々が密かに集まるサークル形式から始まりました。当時の日本社会は、GHQ(連合国軍総司令部)の影響下で性表現が厳しく規制されており、SMはタブー視されていました。初期の活動は、SM雑誌(例: 『奇譚クラブ』、1947年創刊)や新聞広告を通じた同好者の交流が基盤となり、徐々に金銭を伴うプレイ斡旋へ移行。1950年代に「縛られ女郎ショー」などのパフォーマンスが登場し、SMの萌芽が見られます。この時期、SMは単なる趣味ではなく、戦後の精神的解放や性的抑圧の反動として、地下文化として育ちました。
主要イベント
この時期のイベントは、サークル内のトラブルやメディア露出が中心で、社会的なスティグマを生みつつ、SM文化の認知を徐々に広げました。主なものを時系列でまとめます。
年 イベント 詳細
1951年頃 縛られ女郎ショー 緊縛師・須磨利之が大阪の飛田遊郭「銀巴里楼」で、女性を縛るショーを演じ、自伝で記述。SMパフォーマンスの初期例として、遊郭文化とSMの融合を示す。
1953年 芸苑社設立 山岸康二が会員制変態クラブ『芸苑社』を東京で設立。毎夕新聞に「MSクラブ 芸苑社」の広告を出し、女王様役の門田奈子を中心にSM嗜好者の顧客に女性キャストをあてがい、報酬を受け取る形態。商業化の先駆け。
1957年 GRクラブ結成 SM雑誌『奇譚クラブ』の読者を中心に、SM愛好者の交流サークル「GRクラブ」が結成。雑誌がコミュニティ形成の役割を果たす。
1959年 あけぼの会事件 森下高茂のSMサークル『あけぼの会』で、メンバー間の写真撮影絡みの恐喝事件が発生。マスコミに「紹介料」の授受が報じられ、SM活動の社会的な暴露事件として注目。
1960年 あけぼの会事件の余波 マスコミのバッシングが続き、SMサークルの運営に警鐘を鳴らす。
1963年頃 唄子の店登場 大阪阿倍野に変態の集まるスナック『唄子の店』が開業。SM愛好家の溜まり場として機能。
1966年 美芸会設立 & マルゴ会組織 大阪で松田富治男が女王様サークル「美芸会」を設立。同時期、マルゴがSM愛好家の交流会「マルゴ会」を組織。関西でのSMコミュニティ強化。
1970年代初頭 なかむらオープン 中村あけみが新宿区舟町に女王様スナック『なかむら』を開業。女性主導のSM空間の先駆け。
1971年 レイ営業開始 太田正典がSMスナックを前面に出したクラブ『レイ』を大阪で開始。店内プレイに加え、近くのホテルでの続きプレイも行う。
1971年頃 ヤプーの館オープン 新宿大木戸門にSMスナック『ヤプーの館(昆)』が開業。東京でのSMスナックの先駆けとして、関西から波及。
1973年 SMF研究会登場 SM雑誌『SMファンタジア』No.9の広告に「SMF研究会」が掲載。研究・交流型のサークル活動活発化。
1975年頃 SM情報交流会 SM愛好者の情報交換会が活発に。
1977年頃 アムス設立 長池士が『唄子の店』の仲間と大阪で『アムス』を設立。サークルから店舗への移行例。
これらのイベントは、SMがサークル中心からスナック形式へ進化する過程を示し、1970年代初頭に東京・大阪で集中しました。
店舗・サークルの例
潜伏期の「店舗」はスナックや会員制クラブが主流で、常設のSM専門店は稀。主に大阪・東京で活動し、以下が代表例です。
* サークル例:
* 『芸苑社』(1953年、東京: 山岸康二運営。新聞広告で集客、女王様中心の変態クラブ)。
* 『あけぼの会』(1959年、東京: 森下高茂運営。紹介料授受のSMサークル、事件で有名)。
* GRクラブ(1957年、全国: 『奇譚クラブ』読者中心の交流サークル)。
* 美芸会(1966年、大阪: 女王様サークル、70年代後半に地位確立)。
* マルゴ会(1966年頃、全国: SM愛好家交流)。
* SMF研究会(1973年、全国: 雑誌広告経由の研究サークル)。
* SM情報交流会(1975年頃、全国: 情報共有中心)。
* 店舗・スナック例:
* 『唄子の店』(1963年頃、大阪阿倍野: 変態集まりのスナック)。
* 『レイ』(1971年、大阪: SMスナック、ホテル連携プレイ)。
* 『ヤプーの館(昆)』(1971年頃、新宿: 東京初のSMスナック)。
* 『なかむら』(1970年代、新宿: 女王様スナック)。
* 『カーニバル』(1970年代中頃、四谷: ミストレス調教のSMスナック、短期間)。
* 『赤坂ユニオン(悪魔の森)』(1970年代中頃、赤坂: S女性経営のサパークラブ、撮影使用)。
これらは関西起源で東京へ広がり、プレイは密室中心。金銭は「紹介料」や「謝金」として処理されました。
文化的・社会的背景
1950s~1970s初頭の日本は、高度経済成長期の影で、伝統的な性道徳が強く、SMは「変態」として地下に潜伏。戦後、GHQの検閲が緩和されたものの、性犯罪防止の社会的風潮が続き、SMはサブカルチャーとして雑誌(『奇譚クラブ』や『Kitan Club』、1947-1975)で育ちました。『Kitan Club』は1952年からSM特集を増やし、緊縛写真やフェティシを普及させ、読者サークルの基盤を築きました。文化的には、団鬼六の小説(後年)以前に、SMが精神的解放の手段として機能。事件(あけぼの会)でスティグマが増したが、雑誌の影響で愛好者が増加し、黎明期への橋渡しとなりました。【つづく】
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