【店長コラム】創戯旅団 第188夜 厚木USA新規開店(2025-09-01 11:37) | 総合SМ倶楽部 厚木エレガンスのSM店日記一覧

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2025-09-01 11:37【店長コラム】創戯旅団 第188夜 厚木USA新規開店

【店長コラム】創戯旅団 第188夜 厚木USA新規開店
【店長コラム】創戯旅団 第188夜 厚木USA新規開店
※2025年09月01日11時33分

比較的早く私のキャストさん集めは順調に進み、後はお店の完成を待つだけになりました。師匠と部長と次長もお店を楽しそうに造っていましたね。職人さんが自由にお店を発想しながら店作りしているのですから、大変さより楽しさが勝っていた感じでした。予定の3ヶ月であっさりとお店は完成しました。完全に内装が完成して、オープンは2週間後にしようと決まりました。その間に新しく決まったキャストさんを1度お店に全員集めて決起集会をしました。3階のファッションヘルスの幹部さんがそのミーティングの途中に顔を出した時に、裏で『参ったな。ウチよりレベル高い女の子が揃ってるよ。』なんて感想を言ってました。お世辞や社交辞令を言う様な他人行儀な間柄ではありません。本音を聞ける間柄だったので、肌感を素直に語ってくれたのでしょう。万全のスタートを切れそうです。私はど緊張ですよね。こけたらどうしよう。そんな事ばかり考えていましたからね。そしてオープン初日から3日間くらいは、物珍しさからウチに入るお客様もそれなりに居ましたね。多分、お客様が押し寄せたのは、3日間だったのを覚えています。と言う事はそうです。オープンは見事に転けたのです。オープン3日を過ぎたあたりから急激にお客様の数が減りました。これではおにゃんこクラブと変わらない状態です。結局は2週間で一度お店を三日間閉めて、お店の構造を多少変えてから再度オープンする事になりました。その間に何をしたか?オープン当初は、風営法の規則通りにボックスの高さは1メートルで仕切っていました。と言う事は、隣りのボックスは暗くても丸見えなのです。流石にこれでは、お客様は集中出来ないだろう。とお店側としても考えを改めてボックスの仕切り版の上に造花の観葉植物を置く事にしたのです。そうするとプレイが隣りには見えなくなるのでお客様はプレイに集中出来る様になります。仕切りを高くしてしまうと構造が規則違反となるので苦肉の策でした。その改装をするのに3日要したのです。突貫ではありましたが、何とかお店を造り直して再オープンしたものの客足は遠のいたままでした。元々が他のピンサロの方が値段は安かったので、そこまでお客様は旨みを感じていなかったのでしょう。しかし、キャストさんのルックスは良いですし、接客も悪くありませんので少しずつはお店にお客様が定着し始めました。キャストさんが少しずつ本指名のお客様を取れる様になってきたのです。ちなみに開店初日だけ働いたメンヘラ嬢の話しは今回はスルーします。既に2回程コラムネタで擦っているのでスルーで問題ないでしょう。私がおにゃんこクラブから唯一残した40歳のキャストさんは開店から2週間ほど経ってから合流してくれました。本指名を取る力のあるキャストさんですから、お店も嬉しい復帰でした。メンバー的にはベストな訳です。それでもお店の成績は普通止まりでした。バズっているかと問われますと、バズるほどの大ウケではありませんでしたね。しかし、1人だけキャストさんで大化けしたキャストさんがいました。3ヶ月もすると指名客だらけになったのです。何か特徴があったのかを検証してみましょう。気合いの入り方がNo.1になる意識を持ってましたよね。まず付いたお客様はノート管理していましたし、メールのやり取りも小まめにしていました。お客様の管理を覚えたのはキャバクラなので、かなり徹底していたと思います。プレイも濃厚で喘ぎ声は大きめです。そして潮吹き体質だったのです。顔も可愛めで痩せていました。年齢も20代半ばと売れる条件を悉く持ち合わせていたと思います。あっという間にウチのNo.1に上り詰めましたよね。No.1さんの出勤日にはお客様が安定して入る様になって来たので普通くらいの売り上げは確保出来る様になったのです。お店で働くスタッフの陣容を説明します。まず一番上に師匠が部長として入ります。普段は呼び込みをしたりキャストさんの管理をしたりしていました。私はリストとキャストさんの面倒を見ていました。それから師匠のお兄さんがフロアをやってくれましたが、肩書は主任なので私の上司になります。他にもう1人若いスタッフがフロアで入ってくれていました。この若い男性スタッフは3ヶ月くらいで辞めてしまいました。辞める直前に学生のキャストさんに言い寄ろうとしていましたが、その娘さんはバンドの追っかけをやっていたので若いスタッフさんに追いかけ回されるのは迷惑だったらしく、どうしようと私に相談をしてました。若いスタッフ君は、次に美人な若いキャストさんを口説こうと試みるも、こちらは私に気がある娘でした。やはり相手にされませんでした。結果として辞めるしか無くなってしまったのです。1年くらい経ってから系列のピンサロでまたスタッフとして働き始めましたが、しばらくして風紀をしたのでやはりかと思いましたね。風俗で働く理由が女を作る為だったのです。そちらのお店も半年もしない内に飛んでましたね。向こうの店長曰く、風紀がバレて他のキャストさんの対応が余所余所しくなり仕事しにくくなった様でした。そうなるに決まってるじゃないですか。素人丸出しの働き方ですね。ウチのお店は他のお店から使えないおじさんが回されてきましたね。まあ掃除と飲み物を出してくれれば、それで文句無いくらいの温度で見てましたよ。私は師匠に店長職のいろはを叩き込まれる毎日でした。スパルタと言わないまでも厳しかったですよ。それでも負けず嫌いな私は喰らいついて行きました。後日、エレガンスで再タッグを組んだ時に師匠から聞きましたが、『あの頃のお前は俺の言う事を聞かなくて苦労したぞ。でも、納得いくまでとことん話しをしようとする姿勢は好きだったぞ。それからお前は女に嫌われる人間じゃないからな。そこが信用出来たかな。』とか言われてましたね。香奈さんには店長は唐変木なんだから!と言われたり、玲子さんからは、女好きな感じでは無いから信用出来る!とか、その言い方!とこっちが突っ込みたくなる言われ様でしたからね。まあ結局はただのお人好しって言いたいのでしょう。自分でも良く分かっています。だけれども実際には違います。私は女系家族の中で育って来たのです。女の人ばかりの中で無難に立ち回り、女の人に嫌われない処世術は既に子供の頃に確立されていたんですよ。これは師匠にも言ってなかった私の内面です。気の強い女の人のサポートは昔から手慣れていただけです。かつて知ったるなんとやらです。師匠に教わるまでも無く身につけていた立ち振る舞いだったのです。女の人は自分勝手で言いたい事を言ってしまう男はあまり好きではありません。必ずあの人とは性格が合わないって話しになりますでしょう。そこら辺の侘び寂びの難しさが風俗にはありますよ。まあ結局はNo.1に忖度しないとお店が成り立たないのも真実でしょう。私は経営者ですし、利口ではありませんが馬鹿でもありませんから、それくらいは分かってます。しかし、No.1にも癖はありますし、完璧でもありません。それもちゃんと分かってます。まあその侘び寂びがまた難しいもんです。それでも散々ぶつかりながらですが、何とか今でもこの仕事に関わってますから、私に対する採点は良くも無く悪くも無く普通となるのでしょう。私も、それくらいの評価で満足です。さて、当時の私は皆んなの立場で物を考える側のスタンスを取っていました。正義感が強い人くらいの立ち位置をキープしていたのです。3ヶ月もするとNo.1さんが台頭したのと同時に孤立し始めました。あまりNo.1さんばかりを可愛がると他のキャストさんが辞めちゃうからね!とおにゃんこクラブから残ってくれたご意見板の女師匠に、私も釘を刺されていました。そこのNo.1に対するフォローは師匠がやってくれました。バランス感覚が流石にベテランですよね。私は全体に対する配慮優先の立場ながら、No.1さんには敬意を表していました。

お店が転機を迎えたのは6ヶ月辺りの節目だったと記憶しています。捨て看板を立てて三日間の激安イベントで新規のお客様を集中的に獲得する事になったのです。この捨て看板が当時は絶大な効果を発揮してくれました。今では捨て看板なんて絶滅しましたよね。インターネット全盛の時代ですから、捨て看板を打つ必要がありません。仮に捨て看板を立てようものなら翌日には撤去されるのがオチですよ。昔の捨て看板と言ったら、普通の仕事も打ってるくらいでした。風俗の看板なんて少数なくらいでしたよ。夜中に業者さんに撒いて貰うんです。捨て看板を電柱に巻いてるところを警察に捕まると始末書と罰金刑です。捨て看板は数日後には撤去されてしまう事が多いので、それを踏まえて捨て看板を撒いた翌日から三日間の激安イベントを設定しました。料金は30分5,000円でした。いやちょっと待って下さい。今じゃ、30分4,000円がピンサロの相場ですよ。あの頃は、なんて幸せな時代だったのでしょう。もうバブルは弾けていたので不況ではあったんですよ。それでも今ほどの過酷な不況では無かった事になりますね。捨て看板の効果は絶大でした。看板を見たピンサロファンがわんさかと押し寄せて来たのです。私の見立てではこんな流れだったのではないかと思っています。その日にどこか厚木のピンサロで遊ぼうと考えていたお客様が街中で偶然ウチのイベントの捨て看板を見て、安いから遊んでみようと興味を持ってくれたのだと思うのです。その場合は、お客様はその日にピンサロで遊ぼうとしていたのですから間違いなくウチで遊んでくれます。その他にも捨て看板の価格ならピンサロで遊んで見るのも面白いと思ってくれた方が来店してくれました。普段なら15~30人くらいしか入らないくらいのポテンシャルのお店だったのです。それが、初めての捨て看板イベントの3日間で1日50人前後のお客様を獲得出来たのです。これが普段のお客様数の底上げにも繋がりましたのでイベントは大成功だったと思います。私は、厚木USAのキャストさんはレベルが高いと思っていました。新規のお客様を呼び込めばそこそこに本指名のお客様を掴めるキャストさんばかりだと思うんですよ。これでお店が認知された肌感と手応えはありました。そこからはじわじわとお客様を増やしてオープンから1年後には1日平均で30人以上のお客様が入るお店にはスケールアップ出来ましたね。しかし、この頃には一つ大きな問題をお店は抱えていました。お店はぶっちぎりのNo.1に育ったキャストさんを軸に指名を取れるキャストさんが他にも何人も居る理想の布陣のピンサロに育っていました。しかし、No.1さんと他のキャストさんの間には埋められない溝が出来てしまっていました。師匠と私が懸命にフォローを入れて関係を修復しようと試みましたが無理でしたね。両サイドともに、私達がお店を支えているんだというプライドがあったと思います。私は中立を保ちながらお店を回すポジションを取ってお店のバランスを保っていました。しかし、このやり方には無理があったと、今は思ってるんですよ。私は正義感は異常に強かったので公正平等にキャストさんを扱っていました。そこが当時は他のお店と大きく違ったかも知れません。大体の風俗店はNo.1には特権が与えられてますでしょ。本来はウチもトレースしてNo.1さんは別格扱いにして気分良く働かせてあげていれば、お店で長く働く意欲が湧いていたと思うんです。No.1さんの売上を損なわない事を第一優先にする事が大事だったのです。さて、次回のお話しはこの続きからになります。果たしてこの歪み合いの結末はどうなったのか?翌日更新しますのでお楽しみに。

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