創戯旅団 第183夜 おにゃんこクラブ奮闘記前編(2025-08-27 22:11) | 総合SМ倶楽部 厚木エレガンスのSM店日記一覧

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2025-08-27 22:11創戯旅団 第183夜 おにゃんこクラブ奮闘記前編

創戯旅団 第183夜 おにゃんこクラブ奮闘記前編
【店長コラム】創戯旅団 第183夜 おにゃんこクラブ奮闘記前編
※2025年08月27日22時11分

おにゃんこクラブって昭和末期のアイドルじゃないの?そんな疑問符しか湧いて来ませんよね。おにゃんこクラブとは、私が初めて風俗の仕事をした本厚木のピンサロの名前です。当時でさえ時は平成になっていましたからオワコンな名前なんですよ。なんともありきたりな陳腐なネーミングセンスです。今回は私の初風俗がどんなものだったかを振り返って見ようと思います。あれから既に30年が経っているのですから、思えば随分と遠くへ来たものです。既に元号も変わり世の中の流れも30年前とは大きく違います。日本は空白の30年と呼ばれてしまうほどに、国力が衰退してしまったのです。あの頃が懐かしいとは言いたくありません。出来る事ならば、苦労して来た分、今の方が幾分マシになったと思いたいところです。それが今は地獄から復活して来たみたいな感覚ですから、まだまだ私は青二歳のままかよと嘆きたくもなります。いや、ノウハウもスキルも30年前より格段に上昇しています。何よりも、当時と今では覚悟が違います。そんな今の私が30年前の私を見て何を思うのか。少し私自身も興味がありますね。それでは、早速30年前にバック・トゥ・ザ・フューチャー。

当時、本厚木のビジネスホテルの地下にあるパチンコ屋でスロットを打って負けてしまった私は途方にくれていました。実は、もうそのビジネスホテルは跡形もなくありません。今はその半分の場所にはマンションが建ち、残り半分と隣りの敷地は激安スーパーになっています。あゝ、あそこか!なんて皆さんもピンと来ましたね。場所は本厚木の繁華街の中ですからね。当時、その通りにはPARCOが2棟も建っていたのです。その通りはナンパ通りなんて呼ばれていました。若い女の子がナンパ待ちしている横をドレスアップした車で男達が通りかかり女の子をナンパする。そんな遊びを夜な夜な若者達は楽しんでいたのです。特に週末の夜は若者達で賑わってましたね。そのパチンコ屋は、どちらかと言うと閑散としていて今にも潰れそうなお店でした。私は2号機と呼ばれる旧台のスーパーバニーガールを打ちたくて本厚木まで来ていたのです。まあ時代は4号機時代なのに、2号機をまだ設置して営業していたパチンコ店でしたから、儲かってはいないのは確かでしょうね。せっかく本厚木までスーパーバニーガールを打ちに来たのに、散々に散財したのを今でも覚えています。しかも働かないとお金が無いのに、当時の私は無職だったのです。お金をパチスロ台に投資しながら、そろそろ仕事探しをしないとなとか考えながら打っていたのを今でも覚えています。結局は出玉が完全にのまれた段階で、お店を後にしました。時間は夕方だったと思います。パチンコ屋の階段を登り1階に出た私は、徐ろに道路の反対側にある風俗店の外で呼び込みをしていたお兄さんに声をかけて見ました。遊びじゃないですよ。『すいません。こちらのお店は今従業員を募集はしていませんか?』と飛び込みで話しを聞いて見たのです。すると、3人居た呼び込みの中の小太りなお兄さんが『おう。確か2階のお店は人が足りない筈だから、ちょっと聞いてやるよ。』とフランクな感じに応答してくれました。かくして私はその2階の風俗店の面接をその場で受ける事になったのです。2階の事務所に通されて待っていると、しばらくして50歳前後の強面のおじさんが面接をしに現れました。しまった!ヤクザのお店に来てしまった!とその時思いましたね。実を言うと私は、その人を前から知っていました。当時は一つ隣りの通りにディスクユニオンと言う中古CD屋さんがありまして、音楽が大好きだった私は定期的にCDを買いに来ていたのです。その通りには風俗店があり、毎回声をかけてくるヤクザみたいな呼び込みの人が怖かったのを覚えています。私はその呼び込みに声をかけられるのが嫌で通りの反対側の端を歩いてディスクユニオンに行っていたのです。まさかその呼び込みをしていた怖いおじさんが、面接官として現れてしまうとは思いもしないじゃ無いですか。呆然としましたよね。しかし面接は即採用となり翌日からお店に来る様に言われました。実はその前日にも私は小田急相模原のキャバクラの面接を受けていました。そちらも飛び込みで風俗店に話しを聞いて見たのです。すると、やはりそこでも呼び込みのお兄さんがお店を紹介してくれてキャバクラの面接を受けていたのです。そちらのお店の面接も合格していて3日後から出勤する事で話しがまとまっていました。しかし、こちらのキャバクラでは送りでマイクロバスを運転して欲しいなんて言われましたが、私は普通免許しか持っていません。当時でも11人以上のマイクロバスは大型免許を必要としていたと思います。まさか無免許でマイクロバスを運転してくれとは言わないと思います。いや思いたいです。お店に入ったら、大型免許を取りに行くか大型免許無しでマイクロバスを運転させられてしまうのが、採用の条件です。どちらのお店に入るとリスクになってしまうでしょうか。やはり小田急相模原のキャバクラは危険だと思われるので入るのを辞めにしました。本厚木も面接からおっかない人は来ましたけど、まだこちらの方がマシかと思い働く事に決めたのです。それ以上に選択肢を増やしても良いお店に当たる保証もありませんからね。働いて見てヤバいお店だったなら辞めれば良いくらいの温度で簡単に働く事を決めてしまいました。その縁が今の今まで続いているのですから不思議な縁になりましたね。今更、この選択が失敗だったなんて思ってしまったら、自分の人生まで否定する事になるじゃないですか。あの時の判断が今までの人生に大きな影響を与えているのであれば、運命の出会いを果たしていたのでしょう。負けたパチンコ屋の目の前にあった風俗店なだけの縁が、ここまで繋がってしまったのです。私はこのお店がおにゃんこクラブという名のピンサロである事を面接で初めて知る事となりました。この時も、私は別にピンサロで働こうなんて考えてはいない中で、職が本決まりになりました。40歳でこのグループに戻って来た時もSMクラブがある事を、私は知りませんでした。私は知らない職種の風俗店へ自動的に仕事が決まるパターンの経験が多いですね。ノリだけで生きているなと苦笑いしますよ。

さて私の初仕事となったおにゃんこクラブなのですが、入った時には既に潰れそうでした。当時の店長は全然やる気の無い人でしたね。一通り接客の作法は、そのやる気の無い店長から教わりました。1、2週間ほどである程度は仕事に慣れて来たと思います。しかし、そこからいきなり想定外の事が起こります。まず私の上に居たスタッフさんがダメダメな人で、私が入ってすぐに飛んでしまいます。系列店から代わりのスタッフがすぐに来ましたが、この方もおじさんであまり使える感じの方ではありません。その中でですよ。よりによって、店長は私にお店を任せて外出してしまうのです。店長は出勤して1時間はお店の外で他のお店の呼び込みのスタッフさんと談笑した後に、後はよろしくと言い残してお店から居なくなるのです。店長がお店に戻って来るのは閉店1時間前の23時です。そこからお店の締めの作業に入るのです。どうやら、それ以外の時間は違法カジノに入り浸っていたなんて噂がありましたが、私は付いて行ったりはしませんでしたから真偽の程は定かではありません。まあ行ってたのでしょうね。その間は、私が呼び込みとリストでのつけ回しを行っていました。いや、私は入店して僅かに2週間足らずで、そんなお店の営業の核となっている仕事を一人で全部やらなければならない環境に放り出されたのです。もう記憶も明確では無いんですけど、1ヶ月も店長は付き添ってくれてはなかった筈ですよ。1ヶ月も経ってないのにって不満だけは明確に覚えています。しかし、この呼び込みとつけ回しは、私に取っては新鮮で面白くて仕方が無かったのです。まずは2軒のピンサロと1軒のファッションヘルスが1階のロビーで呼び込み合戦を繰り広げます。ほぼファッションヘルスにお客様は取られてしまうんですよ。残りをライバルの1階のピンサロと奪い合います。しかし、この1階の社長さんがなかなかの曲者で非常に愛想良く巧妙にお客様を奪って行きます。また、ここのピンサロのおばさん2人が指名のお客様を多く持っているんです。常連のお客様が多くてウチのメンバーでは太刀打ち出来ませんでした。当時のウチのメンバーで言うと、1人だけ指名客の多い綺麗な40代の方が居ました。他にも同じく40歳代で太ったキャストさんが少しだけお客様を持っていました。若い子も3人居ましたよ。1人は背が高くて美人さんです。この子は指名も多いのですが、そこまで出勤は多くありませんでした。もう1人細身の若い子で顔は綺麗めの子も居ましたね。しかし、この子がお客様と喧嘩をしてしまう娘で、今のウチで言うところのサービス地雷嬢でした。出勤は週に2回くらいだったと思います。そして寮に入ってる若い娘が1人。この娘は店長が知り合いから紹介して貰って入って来ている娘で、耳が悪くて補聴器を使っている娘でした。喋りも辿々しかったので指名は取れませんでしたが、お客様から嫌われたりする事もありませんでした。20代3名、40代2名でお店を回していたのですから、普通のピンサロですよね。それでも潰れそうだったのは何故でしょう?まずは、ここを検証して見ましょう。ピンサロとしては普通の価格帯です。激安店ではありませんでした。しかし、在籍しているキャストさんのルックス的に潰れるお店では無いだろうと思いました。あくまで当時の私の目線ですよ。素人の私の目線です。しかし、私も営業の侘び寂びを知りません。風俗店の人気はどうすると出せるかは分かってはいませんでした。誠心誠意の呼び込みでお客様に訴えかけるしか無いだろう。それが私の判断でした。実際に一生懸命に呼び込みをしてみると、ウチを選んで下さるお客様も少しは増えました。ここなんですよ。何も分からない私が唯一通用したのが、この誠心誠意の接客でした。少しは心に響いてくれるお客様が居て安堵しましたよ。恐らくは営業職やサービス業で苦労しているお客様が呼び込み3人の中から、死に物狂いな私を選んでくれたと思うのです。今、こうやって振り返って見て良かったなと思います。いつの頃からかこの必死さを私は忘れていなかったかと思うのですよ。ずっと1人で頑張って来ているので、他の人より働いているとは自負していますよ。しかし、とこかで要領を覚えてしまっている自分が居ます。少し楽の仕方を覚えてしまっているなと反省するきっかけに、今回の回顧がなるなと思います。仕事をする気持ちの中で一番大事な事なのかも知れませんね。何も通用していない時の一生懸命さは、もう一度取り戻さないといけないと思わされました。それはいつだって求められているお客様に対する真剣さなんですよね。ここを大事にしないとお客様の心には何一つこちらの気持ちは響かないでしょう。フ○ラだけしても、おっぱいとまん○を触らせでも気持ち良いふりをして喘いでも、お客様の心に響くものは少ないのかも知れませんね。大事なのは一生懸命さとお客様が満足してくれているかを気遣う気持ちと、細かくお客様と心が通うかが指名を取る為のポイントなのだと思います。寧ろ、商売をしているのならあたり前ですよね。本当に、これからも肝に銘じます。私はどこかにいろいろとそんな初心を置いて来てしまった気もするんですよ。悔い改めます。と今の私と比べてみるのも大事な事でしょう。【つづく】

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