【店長ブログ】創戯旅団 第7夜 最初に糖尿病で倒れた時もドタ(2024-09-25 23:02) | 真性痴女ハードコアコネクション グランブルー厚木のSM店日記一覧

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2024-09-25 23:02【店長ブログ】創戯旅団 第7夜 最初に糖尿病で倒れた時もドタ

【店長ブログ】創戯旅団 第7夜 最初に糖尿病で倒れた時もドタ
【店長ブログ】創戯旅団 第7夜 最初に糖尿病で倒れた時もドタバタでした
※2024年9月25日21時6分

今回のネタもほぼほぼ前回からの続きになりますが、時系列はかなり遡りエレガンス第一期末から第二期初期のドタバタ劇と言うか奇跡の営業と言うか、そこら辺のことを語りたいと思います。今回のネタで、私の病シリーズ三部作は完結。結構、創戯旅団ブログシリーズに関しては、真面目に書いているのと、今まで現状の営業の事なりお店の実情なりを一切発信して来なかったので、暴露的な楽しみや答え合わせ的に読んで頂けると面白いかなと思います。もうそれだけの年月を積み重ねて来ているんですよね。経営者は何度か変わっているのですが、私がほぼ一人でお店の営業を回さなければならないのは、何も変わらんと言う現実。気合いと根性だけで回しきる根気があったのが、結局は私だけだったというだけの話しなんですが笑
その間に、俺は仕事が出来るとか私は仕事が出来ると豪語したわりには何も出来ないことが判明し撃沈していった人間がどれだけ居た事か。
そうやって、我慢の大切さや何事にも謙虚に取り組んでいかねば結果は出ない事を学びました。これは優等生発言の様に聞こえますが、そうでは無いです。そうする事でしか結果を出せないシビアで厳しい世界だっただけの事です。真剣に泥水すすっても生きねばならない現実を見ようとせずに逃げ出した人ばかりだったかな。第二期初期のドタバタ劇は、それを寸劇にしてしまった感じ。

私の風俗の初仕事は20代でピンサロのボーイをした事でした。そこからずっと同じ人間関係の中で生きてきていますね。一度辞めて10年間親の仕事(昼職)を手伝い、親の会社が倒産して職を探さねばならなかった時に、夜の世界でお世話になっていた師匠のところに戻って、そのまま今に至っています。40歳の時に風俗業に出戻りしたのですが、その時に師匠が一生懸命に立ち上げようとしていたのがエレガンスでした。エレガンスが開店したのが2010年12月で、私がエレガンスに合流したのが9か月後の2011年9月でした。
師匠が言うには、SMクラブの営業を試みるのは3回目らしい。もっとも今回の店名すらエレガンスにしているくらいなので、最初の2回も内容を冠にした帯なんかついていなかったのではないでしょうか。帯というのは、例えば総合SM倶楽部みたいな帯が名前についていれば、おーSMクラブなんだ、しかも総合って書いてあるって事はM女も女王様も在籍しているのかなと、その帯で想像して貰えると思うんですよね。何も帯が無いままにデリヘルタウンに広告が出ているとデリヘルと勘違いされてしまいます。その失敗を最初の2回はしているのだろうと想像がつきましたよね。実際に私は2回デリヘルにトライしていたが上手くいかないで、すぐに閉めた的に伝え聞いてましたから。私に、その様に語った人にはデリヘルに見えたのでしょう。しかし、師匠的にはエレガンスが3回目のSMクラブの営業にトライする感じだったらしい。ちなふに、最初2回の店名に関しては無粋なので聞かなかったですよ。
さて、とっておきの裏話しと言うかやはりと言うべきか、エレガンスという名前は池袋の某店から取ってました。分かりやすっと突っ込みたくなる感じ。ても、であるならば厚木エレガンスにしないと意味ないじゃん。しかも、本人曰く、結構な常連だったらしいですよ。G企画の頃から通ってたらしい。まあ、店の名前はこっそりと変えさせて貰いましたので問題無いのですが笑
M女呼んだら、いつまでも来ないので、女の子来てないよとお店に電話したら、隣りの部屋の知らんデリヘルを呼んだ知らんおっちゃんと勝手にプレイが始まってたらしい。新宿あたりで呼んだらしいですよ笑
どうにせよ相武台前駅のエレガンスに影響受けたとは言わなかった。それはそれで嘘だろって突っ込めるのですが。私は相武台前駅のエレガンスには行った事はありません。ちなみに、池袋の某店には行きましたよ。何故なら、お金半分出すから行ってこいよと師匠が言うので、ご主人様なんちゃらコース的なコースでM女さんと女王様を呼んで話しをたくさん聞きましたね。二人とも綺麗でしたよ。女王様は長く続いてはいなかったので人気出なかったのかな?M女さんは舌ピをしている娘でしたが、可愛い感じの娘だったので人気あったと思われます。もう12年近く前の話しですけどね。

さてさて、話しはどんどんと脱線していき前フリの段階で1800文字を越えてますね笑

続きは次回。とはならず、まだまだ語りましょう。
大体、今までの話しは1,000文字から2,000文字で一話を完結させていたのですが、まだまだ元気なので今回は延長戦。

私がエレガンスに入店して4年経ったある日の事。師匠が俺エレガンスの営業を辞めたいからお前やるか?と言い始めました。実際には突然でも無く、逆に2回かな、エレガンスを閉めていいからお前箱ヘルの店長やってくんないかな?と師匠から口説かれていました。変人な私は、その都度、自分はこのままエレガンスで働きたいです。それには明確な理由があって、自分でお店を回すだけの力をつけたいからですと、2回とも断った経緯があったからなんです。師匠的には、そうしたい理由があったのは知っていたのですが、話しがより長くなってしまうので、それはまた別の機会に語りましょう。
そんなやりとりが過去にあったので、私にエレガンスの方をやってくれないか?と師匠は言ってきたのです。あまりに突然の出来事だったので、少し考えさせて下さい。と解答を一度保留にしました。しかし、自然と解答は一択になる訳ですよ。エレガンスを閉店するか、私が引き継ぐかの二択だと、私の中ではエレガンスを閉店する選択肢は無くなるからですね。元来、ただのかっこつけな私がお店を閉店する選択肢を選ぶ事は絶対に無いのです。それは今回の第二期の終焉にも通じますかね。
結局、2週間寝かしていましたが、エレガンスをやらせて下さいと答えました。
それが、2015年9月の中頃で、10月から私が引き継ぐ事になりました。この時点でエレガンスは閉店を免れた訳です。
しかし、私の金銭面的には、間違いなく師匠の出して下さった箱ヘルに移籍の条件の方が遥かに良いのですから、私自身でも変人だなと苦笑いしてしまいますね。

そして、店の立て直しの苦しみが始まります。売上的には厳しく楽な状態では無いところから、いきなり絶対に赤字を叩けない難しい営業が始まりました。
その年の12月までに4人がクビになり、入ってすぐに居なくなった方も含めて9人がお店を去る事になりました。私の選考基準もかなり厳しいものだったと思います。明確に以前のメンバーから残す判断をしたのは僅か3人のみ。そこに生き残った新人1名を含めて、合計4人のキャストさんで年末年始を乗り切る大変さでした。
しかも、よりによって運の悪い事に、11月の段階で糖尿病で具合が悪くなり過ぎてました。足の末梢神経障害からの痺れもありました。病院に行ったら、すぐに入院する様に言われたのですが、仕事を一人で回しているので入院出来ないと相談をして、事務所に病室を作って寝ながら仕事をする事に落ち着きました。とはいえ、出動が入れば運転しなければいけないですし、治療の段階で足の痺れは激痛に変わるしで、苦しみの連続でした。約1年間は、そんな中で大変な営業をしていましたね。
しかし、そこの試練を乗り切って約8年と9ヶ月も第二期は継続したのだから、苦労はしてみるものです。今現在も苦労の連続ですが笑
日々是決戦。なんとかかんとか生き残ってる感じで、今も毎日が戦いです。
さて、今回はここまでで終了です。

※公開したブログのバックナンバーは厚木エレガンスのオフィシャルブログに保存します。

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