2025-06-18 18:19オランダの覇権樹立とキリスト教

歴史大好き玉パンマン〜!
久しぶりに課題から現代まで語り尽くしてだいぶご満悦でございます。
さて、今回はオランダって実はすげー国なんだぜって話第二弾。
オランダといえばチューリップですが、1600年代は政治経済貿易のあらゆる面でオランダは覇権を握っていました。
この状態のことを「覇権国家=ヘゲモニー国家」と呼びます。
歴史上、ヘゲモニー国家となったのは二国だけ。
オランダとアメリカです。
時にイギリスもヘゲモニー国家とみなされることがありますが、今回は大学の講義に基づいて除外させていただきます。
オランダの角度は、だいたい九州くらい。
意外とちっちゃい!
でも、どうしてオランダがヘゲモニーを握ったのか?
その一つにオランダのキリスト教が関係しています。
カルヴァン派
カルヴァン派(カルヴィニズム)は、16世紀にスイスの宗教改革者ジャン・カルヴァンによって確立されたキリスト教宗派の一派です。
フランスではユグノー、イギリスではピューリタンと呼ばれます。
彼らの考えては、人間よりも神の意志が優先され、救われる人間と滅びる人間は、すでに決定していると考えていました。
すなわち、どれだけ善行を積んでも滅びの定めを変えられません。
そして、彼らは禁欲的で誠実な生活を重んじ、他のキリスト教宗派と決定的に違ったのは、仕事が神からの召命であることです。
キリスト教は質素清貧を重んじ、仕事は富を追求する行為として考えられていました。
また、仕事は人類が失楽園した際に与えられた罰であるとされ、苦役だったんですよね。
対してカルヴァン派は仕事は神からの召命であり、成功は神の恩寵として捉えられていました。
キリスト教宗派の中で最も労働が肯定された一派だったのです。
スペインからの独立
当時のスペインは神聖ローマ帝国のお膝元、スペインの支配下にありました。
ところが、16世紀後半にオランダはスペインから独立しようとします。
オランダではカルヴァン派が広がる中で、スペインはカトリックの強硬派でした。
ルターの宗教改革を発端とし、カルヴァン派もカトリックの偶像崇拝や聖書に書かれていない行いを批判しました。
スペインはカルヴァン派を異教とみなし、異端審問を強化します。
カルヴァン派信徒は信仰の自由を請願し、やがて独立戦争へと発展します。
カルヴァン派と商業活動の親和性
先ほども述べた通り、カルヴァン派は労働と節約を重んじ、神の召命と捉えていました。
利益を得ることや貯蓄、投資を宗教的に肯定したことが、商業ブルジョワジーの台頭を後押ししました。
主体となったのは商人や銀行家、船主たちです。
すなわち、オランダのヘゲモニーを支えた職能の人たちがカルヴァン派と共鳴し、経済活動を活発化させていきました。
このようなキリスト教に後押しされた経済的な活力が、ヘゲモニー確立の礎となります。
寛容な政治体制
オランダはカルヴァン派の影響のもとで、聖俗がわかたれ、寛容的な政治体制を築きました。
各州の自治、業界の独立、そして商業の自由が認められ、ユダヤ教徒や他のキリスト教宗派にも寛容な政治体制を敷きました。
特に銀行はユダヤ教徒が担っていたので、人材や資本がオランダに集中します。
宗教的にも寛容な社会で、文化や学問が発展したり、貿易が拡大したりしていきます。
まとめ
オランダのヘゲモニー確立を支えたのは間違いなく、カルヴァン派の宗教思想です。
仕事は神が人間に与えた罰と考えられていた社会で、職業を神の召命と考えました。
さらに宗教的寛容さがオランダに人材と資本を呼び、経済活動が活発的に行われていったのです。
やがてオランダ商船は日本の出島へ到来し、ヨーロッパ諸国の中で唯一取引が認められます。
その背景にはカルヴァン派の布教より仕事を推奨する考え方が根底にあったとされています。
実は、ヨーロッパの情勢をかなり正確に把握していた日本。
方や、彼らは日本へ行くためにオランダの商船へ同乗する人もいたとか、いなかったとか。
いや〜〜、オランダってすごい!!!